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独島でアシカ漁の日本、鬱陵郡に税金納めていた

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

大韓帝国時代、鬱島郡(鬱陵郡の当時の地名)が独島(ドクト、日本名・竹島)でアシカ漁をする日本人に税金を課した事実が史料で明らかになった。

大韓帝国時代、鬱島郡(鬱陵郡の当時の地名)が独島(ドクト、日本名・竹島)でアシカ漁をする日本人に税金を課した事実が史料で明らかになった。これは当時も韓国が独島を実効的に支配していたことを裏付ける資料だ。

ハンア文化研究所のユ・ミリム所長(51、政治学博士)は16日、「1902年に大韓帝国が鬱島郡守に鬱陵島・独島での経済活動に課税させ、郡守が日本人のアシカ輸出に課税した事実が確認された」と明らかにした。

課税を立証する史料は1902年に内部(現在の行政安全部)が作成した「欝島郡節目」だ。これには内閣総理大臣の尹容善(ユン・ヨンソン)の決裁を受けて鬱島郡に出されたもので、内部大臣の印章が押されている。「節目」とは具体的な施行細則を意味し、本文は計10ページ。


節目に書かれた税金は、海で採取したものに海採税10%のほか、出入りする貨物には代金の1%を受け、警備に補うよう規定している。

海採税は主に全羅道人のワカメに課され、「出入りする貨物」は主に日本人の輸出貨物に課された税金だ。独島でアワビを採取した事実は1902年に見られるが、アシカの日本輸出は1904年から出てくる。アシカは独島でのみ捕獲される。

1901年に鬱陵島に滞在した日本人はピーク期に550人、四季にわたり居住する人も150人近かった。1904-1905年に釜山(プサン)駐在日本領事館が自国の外務省に報告した資料には、アシカ、イカ、テングサなどの輸出量が具体的に記録されている。

ユ所長は「日本人がアシカ漁に税金を出したのは、まさに独島を韓国領と認めたことを意味する」と説明した。アシカは独島周辺に生息していたが、現在は絶滅したと推定されている。



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