韓国の看板中型車「ソナタ」。 第1世代(左から)は1985年11月に中型車ステラの車体で始まった。 これまで5度のフルモデルチェンジがあった。 第6世代(YF)は現代(ヒョンデ)車独自のデザインを見せたと評価されている。
現代車は鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ会長が1967年に設立した。 すでに50年代に米軍トラック整備工場を運営し、自動車産業に対する感覚は韓国内で誰よりも優れていた。 実際、経営は鄭会長の弟で後に‘ポニー鄭’と呼ばれた鄭世永(チョン・セヨン)社長がしていた。 フォードと技術提携し、設立翌年に中型セダン「コーティナ」を組立生産(CKD)した。 70年代に入ると、韓国自動車市場の可能性を見たフォードと三菱が現代車への出資を提案した。 しかし鄭会長はこれを断った。 合弁をすれば技術の自立が難しいうえ、輸出の道がふさがると考えた。 鋭い視点だった。 しかし直ちに報復を受けた。 フォードは現代車への技術提供を中断した。 しかし設立初期から鄭会長の執念は技術自立による輸出だった。 内需だけでグローバルメーカーになるのは難しいからだ。 トヨタ・日産に劣勢だった三菱は現代車からロイヤルティーを受けて技術を頻繁に移転した。 90年代初めまで18年間に三菱に支払ったロイヤルティーは巨額だ。 現代車の営業利益が1000億ウォン水準だった80年代末、ロイヤルティーだけで500億ウォン以上を支払った。
韓国自動車の地位を高めた現代車躍進の秘訣(2)
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