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脱北者に暴言の韓国野党女性議員、かつては北朝鮮青年の“アイドル”

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

林秀卿(イム・スギョン)議員が1989年、全国大学生代表者協議会(全大協)代表の資格で北朝鮮入りし、平壌(ピョンヤン)祝典に入場する当時の姿。

ペク・ヨセフ氏。

民主統合党の林秀卿(イム・スギョン)議員から暴言を浴びた脱北者のペク・ヨセフ氏(28)はフェイスブックに「北にいた幼い頃から‘統一の花’林秀卿の大ファンだった」とコメントした。ペク氏が先に林議員に近付いて写真撮影を要請した理由だ。林議員が北朝鮮に密入国した1989年、ペク氏は5歳だった。林議員が北朝鮮でどのように記憶されているかを表している。

満21歳で北朝鮮に密入国し、世界青年学生祝典に出席した女子大生の林秀卿は、南北ともに統制不能だった。林議員はその年6月30日から8月15日まで46日間、北朝鮮に滞在しながら韓国政府を批判し、反米を語った。白のチョゴリと黒のチマ(スカート)を着て金日成(キム・イルソン)と両手を握り、北朝鮮の大学生と「米国の奴ら、覚悟しろ」と叫んだ。しかし北朝鮮の統制に閉じ込められることもなかった。

日本の産経新聞は89年8月22日、「林秀卿の自由奔放な行動が、金日成を絶対尊厳の存在としてダブー視してきた北朝鮮人の意識を混乱させた。結果的に韓国政府に思いも寄らない功績を立てた側面もある」と報じた。


当時、林議員は北朝鮮の幹部の前で権力世襲を批判する発言をした。金日成から贈られた「ショール」を席にそのまま置いて宿舎に帰ったこともある。自由民主主義体制で生まれて育った彼女は北朝鮮のタブーからは自由だった。

北朝鮮の立場から見て深刻だったのは林議員のTシャツとジーンズであった。北朝鮮の青年はアイドルを見るように林議員に熱狂した。林議員のすべての持ち物は北朝鮮では高級だった。平壌祝典には白のTシャツ、白のズボン、白の運動靴を履いて入場し、注目を集めた。ファッショと米帝国主義に苦しむ韓国のかわいそうな人民の姿ではなかった。このため当時の海外メディアは「北朝鮮がむしろ彼女の長期滞在を懸念した」と報じた。

彼女は民間人としては分断後初めて板門店(パンムンジョム)を通って北から南へ歩いて渡った。北朝鮮は「88年ソウルオリンピック」に対抗するため、世界青年学生祝典を企画した。当時、北朝鮮労働党が主体思想派地下組織に闘争指針を伝える役割をした短波放送「救国の声」を通じて、平壌学生祝典を準備しろというメッセージを伝えた。主体思想派4大組織の一つ、祖国統一促進グループが韓国代表を送る企画を主導したという。実行計画は全国大学生代表者協議会(全大協)祖国統一委員会が立てた。当時出てきた結論は「象徴性があり、海外旅行に自由な女子大生を送る」ということだった。公安当局の監視を避けるには運動圏の核心人物が選ばれてはならず、その基準を満たす人物が「林秀卿」だった。



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