さかのぼること1919年2月8日、東京で朝鮮青年独立団が組織され、「2・8独立宣言」をした在日朝鮮人留学生およそ30人が逮捕され裁判が進められた。ところが控訴審で弁護士の布施辰治は朝鮮独立運動の正当性を認め、留学生らの無罪を主張した。一銭の報酬も受けない日本人弁護士だった。
布施辰治はまた、関東大震災当時も暴徒から朝鮮人を守るのに率先した。「人間は誰であれ、自分がどんな人生を送るべきかについて自分の声を聞かなければならない」という所信によるものだ。拘束と投獄という困難を経た布施辰治は結局、弁護士資格を剥奪されてしまった。
布施辰治はまた、関東大震災当時も暴徒から朝鮮人を守るのに率先した。「人間は誰であれ、自分がどんな人生を送るべきかについて自分の声を聞かなければならない」という所信によるものだ。拘束と投獄という困難を経た布施辰治は結局、弁護士資格を剥奪されてしまった。
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