大韓航空機爆破犯の金賢姫が事件発生1年後の1988年、国家安全企画部(安企部)から検察に送致されている。
対南機関出身の別の脱北者は「上部では徹底的に機密にしていたが、北朝鮮当局が数日間ずっと否定する姿を見ながら、テロ行為をして対応する典型的な姿であることを知った」と伝えた。 当時、北朝鮮が金賢姫の存在を否認する声明を出したのが、むしろ住民には副作用をもたらしたという。 「40代以上の人々はすでに大韓航空機爆破に関する知識(情況)を持っていた」ということだ。
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大韓航空機爆破犯の金賢姫が事件発生1年後の1988年、国家安全企画部(安企部)から検察に送致されている。
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