5000年の歴史で韓民族は4つの世界記録をつくった。 南北2つずつだ。 韓国は26年間(1961-87年)で産業化と民主化を成し遂げた。 人類歴史上、最も速い。 韓国は戦争の廃虚から立ち上がり、多くの分野で1位を走る。 最も大きい旅客船、最も高いビルを建造し、テレビ・半導体を最も多く生産する。 アーチェリー・フィギュア・ゴルフ・野球・スケートで頂点に立った。
半面、北朝鮮の世界記録は陰地の記録だ。 地球上で最も貧しい国が最も強力な武器(核爆弾)を作った。 もっと衝撃的なのは長期独裁だ。 1人では金日成(キム・イルソン)とカストロが同じ49年で最長だ。 しかし世襲でいえば北朝鮮が66年となる。 これを破れそうな人物はカダフィだった。 しかしカダフィは42年で国民に処断された。 長さもそうだが、過酷と恐怖でも北朝鮮独裁は世界記録だ。
11年前の2000年10月下旬の晩、私は平壌(ピョンヤン)綾羅島(ルンラド)5・1(労働節)競技場に座っていた。 「朝鮮労働党創建55周年慶祝10万人集団体操と芸術公演」が開かれた。 30メートルほど前に金正日(キム・ジョンイル)総書記がいた。 警護軍官2人が金正日の背中の後ろに立っていた。 目つきは毒蛇のように鋭かった。 金正日の隣にはオルブライト国務長官をはじめ、米国訪問団が座った。
雷音のような喚声でマスゲームが始まった。 原色の服と旗、ロボットのように動く子ども、学生、一般人、軍人の数千人、数万人が一つになる核・ミサイルカードセクション…。 クライマックスに入ると、数百人の軍人が着剣した銃を持って銃剣術と集団撃破を演出した。 軍人は「ワー」という叫び声で主賓席に突進してきた。 その瞬間、カードセクションの文字はこう表れた。 「私たちに触れる者、この惑星上に生き残る者はいない」。
海外記者は衝撃に陥った。 ホテルに戻るバスの中のこう叫んだ。「Incredible!(信じられない)」「Unimaginable!(想像できない)」「Shocking!(衝撃的だ)」…。 ある記者は「レーニンも、スターリンも、チャウシェスクも、カストロも、毛沢東もできなかったことだ。 いや今後、誰もできないだろう」と話した。 正しい言葉だった。 ナチも、ファシズムも、カミカゼも、紅衛兵も、フセインとカダフィも、こういう公演はできなかった。 人間をこれほどロボットのように動かした独裁者は金正日しかいない。
北風が吹きつけたその年の晩秋、北朝鮮の農家の割れたガラス窓を私は忘れられない。 そこはビニールでふさがれていた。 その窓から今どれほど冷たい風が入り込んでいるだろうか。 金正日の独裁期間、北朝鮮住民は寒さに凍え、空腹だった。 きちんと食事ができず、体格が小さくなった。
【コラム】北朝鮮の公演を見た外国人記者「スターリンもでき좂かったことを…衝撃」(2)
半面、北朝鮮の世界記録は陰地の記録だ。 地球上で最も貧しい国が最も強力な武器(核爆弾)を作った。 もっと衝撃的なのは長期独裁だ。 1人では金日成(キム・イルソン)とカストロが同じ49年で最長だ。 しかし世襲でいえば北朝鮮が66年となる。 これを破れそうな人物はカダフィだった。 しかしカダフィは42年で国民に処断された。 長さもそうだが、過酷と恐怖でも北朝鮮独裁は世界記録だ。
11年前の2000年10月下旬の晩、私は平壌(ピョンヤン)綾羅島(ルンラド)5・1(労働節)競技場に座っていた。 「朝鮮労働党創建55周年慶祝10万人集団体操と芸術公演」が開かれた。 30メートルほど前に金正日(キム・ジョンイル)総書記がいた。 警護軍官2人が金正日の背中の後ろに立っていた。 目つきは毒蛇のように鋭かった。 金正日の隣にはオルブライト国務長官をはじめ、米国訪問団が座った。
雷音のような喚声でマスゲームが始まった。 原色の服と旗、ロボットのように動く子ども、学生、一般人、軍人の数千人、数万人が一つになる核・ミサイルカードセクション…。 クライマックスに入ると、数百人の軍人が着剣した銃を持って銃剣術と集団撃破を演出した。 軍人は「ワー」という叫び声で主賓席に突進してきた。 その瞬間、カードセクションの文字はこう表れた。 「私たちに触れる者、この惑星上に生き残る者はいない」。
海外記者は衝撃に陥った。 ホテルに戻るバスの中のこう叫んだ。「Incredible!(信じられない)」「Unimaginable!(想像できない)」「Shocking!(衝撃的だ)」…。 ある記者は「レーニンも、スターリンも、チャウシェスクも、カストロも、毛沢東もできなかったことだ。 いや今後、誰もできないだろう」と話した。 正しい言葉だった。 ナチも、ファシズムも、カミカゼも、紅衛兵も、フセインとカダフィも、こういう公演はできなかった。 人間をこれほどロボットのように動かした独裁者は金正日しかいない。
北風が吹きつけたその年の晩秋、北朝鮮の農家の割れたガラス窓を私は忘れられない。 そこはビニールでふさがれていた。 その窓から今どれほど冷たい風が入り込んでいるだろうか。 金正日の独裁期間、北朝鮮住民は寒さに凍え、空腹だった。 きちんと食事ができず、体格が小さくなった。
【コラム】北朝鮮の公演を見た外国人記者「スターリンもでき좂かったことを…衝撃」(2)
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