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【噴水台】北朝鮮住民の号泣に真心が感じられない理由

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
記憶に残る写真がある。 写真専門雑誌ライフ(LIFE)に掲載されたものだ。 1945年のフランクリン・ルーズベルト米大統領の逝去の翌日、グレアム・ジャクソンという黒人海軍曹長が村会館の前に集まった人々の前で、アコーディオンで「Going Home」を演奏している場面だ。 こみ上げる悲しみを何とか抑えている彼の頬の上を一筋の涙が流れる。 涙をこらえようと固く閉じる唇があまりにも悲痛で、他の追慕客の表情は見えない。 動きもほとんどなく、哀切な「新世界」交響曲第2楽章テーマも聞こえないが、これほど切々たる写真が他にあるだろうか。

抑えられた悲しみだけが感動的というわけではない。 激情的に表現される悲しみもある。 古代ギリシャの劇作家アイスキュロスの『ペルシア人』にこうした場面が出てくる。 人類最初の悲劇とされるこの作品で、アイスキュロスは、ペルシア王クセルクセス1世の悲痛を感動的に描き出す。 紀元前480年のサラミスの海戦が背景だ。 クセルクセスは自分の大艦隊が一握りにもならないギリシャ艦隊を、ネコがネズミを弄ぶようにするのをスペクタクルに楽しむため、海辺の高い丘に座った。

ところが何ということか。 ペルシア大艦隊がサラミス海峡の狭い水道で力を発揮できず、鋭いギリシャの小型ガレー船の標的になってしまう。 歴史に記録された最初の大規模海戦であるこの戦闘で、ギリシャは40隻ほどの船を失った半面、ペルシア戦艦は300隻以上も沈没してしまった。


クセルクセスは予想以上にスペクタクルな場面を目の当たりにし、自分の服を引き裂きながら泣き叫んだ。 その泣き語が劇的だ。 「オトトトトイ(Ototototoi)」。韓国語で「アイゴ、アイゴ(ああ、ああ)」と翻訳するしかないこの声は、原初的な痛恨の表現だろうか。 自分のために生きたまま水葬される兵士らを見て、獣のように泣き叫ぶしかなかったのだから。

指導者を失った北朝鮮住民が号泣する姿を見て思い浮かんだこの2場面は、いくら包帯を巻いてもじわじわと滲み出る血のような悲しみとはどういうものかを考えさせる。 クセルクセスの泣き叫びにはやはり誇張が感じられる。 自身の誇張というよりも作家の歪曲だ。 サラミスの海戦に参戦したギリシャ兵士としてのアイスキュロスにとって、クセルクセスの敗退はゼウスの懲罰であり正義の勝利だったわけだ。

北朝鮮住民の「アイゴ」からも、なぜか真心が感じられないのも似た理由かもしれない。 そうするほうが有利になるからか、それとも自分に有利な人が消えたからか、他人の斎場で自分の身分を嘆いて泣いているように見えてしまう。

李勲範(イ・フンボム)文化スポーツエディター



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