6カ国協議の最初の韓国首席代表を務めた李秀赫(イ・スヒョク)元大使
「自責の念に駆られる。 その間ショーをしたのかということになるからだ。 実際、会談初期の2年間は核放棄を期待した。 当時は核実験もせず、廃棄しなければ米国の制裁が強まることを北朝鮮も知っていた。 2次核危機の原因である濃縮ウランも北朝鮮は米国の操作だと否定していた。 さまざまな情報が濃縮を裏付けていたが、それでも展望はあった。 6カ国協議の北朝鮮首席代表の金英逸(キム・ヨンイル、1次)、金桂寛(キム・ケグァン、2次)の態度に、以前の韓・朝・米・中4者会談当時とは違って誠意が見られた。 私たちの発言に傾聴し、助詞ひとつ直さず平壌(ピョンヤン)に報告すると言った。 私たちは北朝鮮の外務省が聞けない話もした。 例えば1次会談当時、北朝鮮は米国との不可侵協定締結を主張した。 それで『米国が不可侵協定を結んだ事例はない。 政府がしても上院が批准しない』と話した。 北側はうなずいて、その話は消えた。 ところが2度の核実験後、外交交渉ではだめだ、北朝鮮は核兵器を生存に不可欠なものと考えているという判断に至った。 私が国家情報院(国情院)海外担当第1次長を務めた時期は最初の核実験の後だが、南北間で合意があったものの、悲観的な感じがし始めた」
元韓国6カ国協議代表「北朝鮮は最初から核放棄の考えなかった」(2)
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