朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が1978年末までコード名「890」として核兵器開発プロジェクトを推進していたことが明らかになった。国際問題英文ジャーナル「グローバルアジア」編集長のムン・ジョンイン延世(ヨンセ)大学教授と編集委員のピーター・ヘイス米ノーチラス研究所所長は26日に刊行される秋号で、「朴大統領が米国の圧力により76年末に秘密核開発プログラムを中止したとされているが、77年以後もミサイル射程距離増大研究と高性能爆発実験、核分裂物質実験など、核兵器開発と関連したプロジェクトを続けていた」と明らかにした。2人は米中央情報局(CIA)が78年6月に作成した「韓国:核開発と戦略的政策決定」などを分析した。以下はその要約。
朴正熙大統領の核兵器開発は1960年代末~70年代初期の北朝鮮の持続的な挑発と電撃的な米中和解、米国の対韓防衛公約に対する疑念のためだった。朴大統領は74年末に核兵器開発計画「890計画」を承認したが76年に米国の外交圧力により中断した。しかし77年1月にカーター大統領が就任1週間で核兵器と歩兵2師団を韓国から撤収させるよう指示したことで890計画の一部が再稼働された。国防科学研究所(ADD)に高性能爆発実験と化学武器開発研究をするよう指示が下される。CIAは「高性能爆発実験は韓国が核兵器開発に方向を定める場合に有益な研究だ」と話した。
77年9月にはミサイル研究陣も作業場に復帰した。CIAは「78年4月にADDは改良されたナイキ-ハーキュリーズ地対地ミサイルの試験発射に着手した。朴大統領から『85年までに射程距離3500キロメートルのミサイル開発計画』の承認を受けた」と付け加えた。CIAは当時、「韓国の核兵器開発に対する確実な証拠は見つけられない」としながらも、「韓国が開発を進めた核弾頭のサイズと重量はミサイル開発プロジェクトに照らし合わせると数キロトンから20キロトンの在来式だろう」と推論した。
朴正熙大統領の核兵器開発は1960年代末~70年代初期の北朝鮮の持続的な挑発と電撃的な米中和解、米国の対韓防衛公約に対する疑念のためだった。朴大統領は74年末に核兵器開発計画「890計画」を承認したが76年に米国の外交圧力により中断した。しかし77年1月にカーター大統領が就任1週間で核兵器と歩兵2師団を韓国から撤収させるよう指示したことで890計画の一部が再稼働された。国防科学研究所(ADD)に高性能爆発実験と化学武器開発研究をするよう指示が下される。CIAは「高性能爆発実験は韓国が核兵器開発に方向を定める場合に有益な研究だ」と話した。
77年9月にはミサイル研究陣も作業場に復帰した。CIAは「78年4月にADDは改良されたナイキ-ハーキュリーズ地対地ミサイルの試験発射に着手した。朴大統領から『85年までに射程距離3500キロメートルのミサイル開発計画』の承認を受けた」と付け加えた。CIAは当時、「韓国の核兵器開発に対する確実な証拠は見つけられない」としながらも、「韓国が開発を進めた核弾頭のサイズと重量はミサイル開発プロジェクトに照らし合わせると数キロトンから20キロトンの在来式だろう」と推論した。
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