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【コラム】「人間安全保障国家」ビジョン(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
福島第一原発事故・被害という3・11モーメントは、日本の「この国の形」を根底から変えることになるだろう。

戦後、日本の復興と成長の中で形作られてきた「平和国家」ビジョンの不備が、原発危機に対する戦いの中で改めて浮き彫りにされた。それは一言で言えば、「安全保障国家」としての国家ビジョンの欠如であったといってよい。長い間、日本では国と国民の安全(と安心)にとって「最悪のシナリオ」を表で議論することを避けてきた。「最悪シナリオ」を語ることに対する忌避感のような空気が社会に立ちこめており、そのようなシナリオを起こさないようにすることこそ平和国家日本の役割である、という平和論が根強かった。

冷戦後、こうした平和論は挑戦を受けてきた。1990-91年の湾岸危機・戦争は、戦後日本の「一国平和主義」的安保観の限界を露わにした。1995年の阪神淡路大震災とサリンガステロは、危機管理の重要性を認識させた。北朝鮮による1993年のノドン・ミサイルと1998年のテポドン・ミサイルの発射は、日本の地政学的脆弱性を痛感させた。2001年の911テロは、原理主義者によるテロと大量破壊兵器の結節という21世紀のグローバルな実存的脅威を予兆させた。


日本の安全保障観はこれらの挑戦に適応すべく徐々に進化してきた。例えば、北朝鮮のミサイル脅威を契機に、日本は「日米防衛協力のための指針」を見直し、「日米間の調整メカニズムを平素から構築する」ことを米国との間で合意した。

にもかかわらず、「最悪シナリオ」に正面から向かい合い、それが起こったときの緊急対応について議論し、その体制を整えることをしてこなかった。日本人が日本のブランドと信じてきた「安全・安心」は、このような「最悪シナリオ」拒否症の平和論と融合した形で、国民に受け入れられていたのである。奇妙なことだが、安全保障をめぐる「最悪シナリオ」拒否症は、原発事故をめぐる「最悪シナリオ」拒否症と相似形をなしている。



【コラム】「人間安全保障国家」ビジョン(2)

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