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【噴水台】海の名前

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
この海はかつて「ゲルマン海(German Sea)」と呼ばれた。 ギリシャの天文学者プトレマイオスが「地理学」で名づけた。 しかし英国にとっては「東海」であり、ノルウェーとスウェーデンにとっては「南海」だ。 デンマークは今でも「西海」を併記している。 油田と魚族資源で有名な「北海」のことだ。

最初は名前もなかった。 ローマの歴史家タキトゥスが『ゲルマニア』で「ライン川は北に流れる」と書いただけだ。 これにプトレマイオスが「ゲルマン」という名前をつけた。 中世には国に囲まれた海という意味で「中海」とも呼んだ。 そして海上貿易を掌握したオランダ人が「北海(Noord Zee)」と海図に表記して定着したという説が有力だ。 中世ドイツの「ハンザ同盟」が制作した地図がヨーロッパに広がって一般化したともいわれる。 名前も「慣習」に影響されるのか。

中国の南端に「北海」という港都市がある。 韓半島の南側には南海(ナムヘ)市があるが、中国が北海市とは。 国際水路機関(IHO)の公式名称は「トンキン湾」だが、ベトナムも中国もこの海を「北部湾」と呼ぶ。 「トンキン」はハノイの過去の名前「東京」をフランス語で表記したものだ。 ベトナムが北部湾と呼ぶのは理解できるが、中国はなぜか。 これも「慣習」か。


東海(トンヘ、日本名・日本海)は主に「韓国海」だった。 1615年に出たポルトガルの地図に「Mar Corea」と表記されている。 日本で1794年にできたアジア全図でも「朝鮮海」となっている。 1650年にはフランス宣教師が当時の「慣習」名である「東海」と表記している。 「日本海」は日露戦争を経て登場した。 不幸にもIHOが発足したのは日帝強占期間の1921年だ。

東西南北は観察者の位置によって異なる。 しかし近代思想と地理的な基準点で見れば韓半島は「極東」だ。 インドの詩人タゴールが韓国を「東方の灯」と詠ったのも最も東側から浮かぶ太陽から詩想がわいたのではないだろうか。 こうした点で「東海」は世界地理的な観点でもふさわしい名称だ。 「ゲルマン海」も「北海」になったのに、米国が「慣習」でもなく帝国主義の遺産「日本海」に統一しようとは。

名前はそのものを表す。 金春洙(キム・チュンス)詩人の「花」をパロディーにすれば「その名を呼ぶ前は/一つの波に過ぎなかった/その名を呼んだ時/私たちにとって熱い日が昇る東海になった」。東海という名前は私たちにとって、世界の人にとって、明日も日が昇るという約束であり信頼だ。



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