春川市(チュンチョンシ)の旧米軍基地「キャンプページ」で枯葉剤を廃棄したという元在韓米軍の証言に続き、今度は部隊内で核兵器事故があったという証言が出てきた。
先月31日、某時事週刊誌電子版の報道によると、1972~1973年にキャンプページに勤めていたダラス・スネル氏は、「1972年夏、昼食を食べて休んでいると突然全部隊にサイレンが鳴り、兵士と憲兵らが3重に警備する核ミサイル保管所に集まった。部隊員20~30人余りがメタルルームの中に入るとすぐに核弾頭が装着されたホーネストジョンミサイルを背にして防御姿勢を取れと命令を受けた」と証言した。
当時特別な安全装備はなくマスクだけ着用していたという彼は、「部隊に核ミサイルがあるということは当時キャンプページにいたすべての兵士が知っていた。核ミサイル弾頭に問題が生じたので当然放射能などが漏れ出たと考えた」と付け加えた。
続いて「故障した弾頭を箱に入れたらヘリコプターの音が聞こえ、部隊員のうち数十人がこの箱を持ってヘリコプター着陸地に走った。何かの問題が生じた核ミサイル弾頭を春川市の南側15マイル(約24キロメートル)ほど離れたどこかに廃棄したという話を後で聞いたが正確な場所はわからない。上官に何度も尋ねたがいかなる返事も聞くことはできなかった」と回想したとこの週刊誌は伝えた。
1980年に転役したスネル氏は2002年から異常な症状に苦しめられ、2005年に白血病の判定を受けたという。
先月31日、某時事週刊誌電子版の報道によると、1972~1973年にキャンプページに勤めていたダラス・スネル氏は、「1972年夏、昼食を食べて休んでいると突然全部隊にサイレンが鳴り、兵士と憲兵らが3重に警備する核ミサイル保管所に集まった。部隊員20~30人余りがメタルルームの中に入るとすぐに核弾頭が装着されたホーネストジョンミサイルを背にして防御姿勢を取れと命令を受けた」と証言した。
当時特別な安全装備はなくマスクだけ着用していたという彼は、「部隊に核ミサイルがあるということは当時キャンプページにいたすべての兵士が知っていた。核ミサイル弾頭に問題が生じたので当然放射能などが漏れ出たと考えた」と付け加えた。
続いて「故障した弾頭を箱に入れたらヘリコプターの音が聞こえ、部隊員のうち数十人がこの箱を持ってヘリコプター着陸地に走った。何かの問題が生じた核ミサイル弾頭を春川市の南側15マイル(約24キロメートル)ほど離れたどこかに廃棄したという話を後で聞いたが正確な場所はわからない。上官に何度も尋ねたがいかなる返事も聞くことはできなかった」と回想したとこの週刊誌は伝えた。
1980年に転役したスネル氏は2002年から異常な症状に苦しめられ、2005年に白血病の判定を受けたという。
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