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韓米連合軍司令部解体後の2012~2015年のある年。事態は「戦争の兆し」と判断するには曖昧な状態で始まりかねない。D-1日=西海(ソヘ、黄海)の北方限界線(NLL)近海で突然北朝鮮の潜水艇が訓練を行う。韓国軍は注意を集中させる。その間に軽量化核弾頭を装着した偵察総局のサンオ級潜水艦3隻が南下する。D-3日=北朝鮮は「定例機動訓練」を発表する。前方長射程野砲部隊と第820機甲師団、第9機械化師団が動いた。韓国軍は緩い「デフコン3号」(高度防衛準備態勢)を発令した。サンオ級潜水艦が「釜山(プサン)港と蔚珍(ウルチン)原子力発電所前に安着」と連絡した。
D-day=訓練中だった北の長射程野砲が夜間に突然南への砲撃を始めた。2010年の延坪島(ヨンピョンド)砲撃のような奇襲攻撃だった。短距離・中距離弾道弾が前線と主要指揮所、空軍基地を攻撃した。化学弾も動員された。黄海道(ファンヘド)の北朝鮮第4軍団が南下した。半潜水艇に乗った特殊部隊上陸軽歩兵旅団先発隊が金浦(キムポ)海兵第2師団を夜間に奇襲攻撃した。1次攻撃が失敗するとすぐに2次、3次と送り続けた。臨津江(イムジンガン)上流と金剛山(クムガンサン)水域の北朝鮮のダムが一斉に放流を開始し、下流の韓国軍第5個師団が孤立した。北朝鮮第5軍団の歩兵・機械化部隊が臨津江(イムジンガン)北部の朔寧(サクリョン)・サムグァン地域を攻撃した。グアムから出撃したB-2ステルス爆撃機が平壌(ピョンヤン)と中長距離弾道弾基地を爆撃し韓米連合空軍と米第7艦隊艦載機が北朝鮮空軍をほとんど破壊した。
D+18h=韓国陸軍が北朝鮮軍を総力阻止する間に5・1軍団特殊部隊の軽歩兵師団兵力がトンネルを通じて潜入、大成山(テソンサン)・白雲山(ペクウンサン)・雲岳山(ウンアクサン)の稜線を伝い電撃的に南下する。懸里(ヒョンリ)地域の韓国軍首都機械化歩兵師団駐屯地が攻撃を受けた。
D+1日=空気浮揚艇・半潜水艇・潜水艦・AN-2型機を総動員して数千の特殊部隊兵力が西海から浸透する。仁川(インチョン)・平沢(ピョンテク)港と烏山(オサン)空軍基地が攻撃を受ける。
D+2日=北朝鮮軍は東豆川(トンドゥチョン)を占領した。軽歩兵旅団は懸里の首都機械化歩兵師団を孤立させた。AN-2型機で来た航空陸戦旅団は抱川(ポチョン)の第6軍団司令部を攻撃した。これで東豆川(トンドゥチョン)・抱川・懸里は占領され、鉄原(チョルウォン)の韓国軍第5軍団は孤立する。
D+3日=北朝鮮は「蔚珍原子力発電所と釜山の前に核武装潜水艦がある。攻撃すれば爆破する」と宣言する。休戦交渉と補償を要求する。米軍は増員を始めることもできなかった。
このみじめなシナリオの終わりは恐らく「韓国の白旗」だろう。それまでの過程で北朝鮮の特殊部隊は最大の役割を果たす。それだけ北では最も重要で南には最も手にあまる存在だ。
戦時だけというわけではない。哨戒艦事件直後の対北朝鮮警戒令が最高だった時に平沢第2艦隊所属海軍将校はこのように打ち明けた。
「北朝鮮の潜水艇が平沢第2艦隊近くまで入り込み待ち伏せすることができる。特殊部隊から何人かが上陸して停泊中の韓国艦船に手りゅう弾を数発ずつ投げれば港はまひする。平沢港近くから潜入して港湾施設、液化天然ガス(LNG)基地、火力発電所を攻撃すれば首都圏もまひする」とした。国防白書によればそのような兵力が2006年の12万人から2008万に18万人、2010年に20万人に増えた。北朝鮮の特殊部隊出身脱北者はこれよりはるかに多い25万~30万人とみている。
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