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最初の「ミスコリア」は誰なのか。 その主人公はチェ・ジョンウォンだ。 彼女は1931年、『三千里(サムチョンリ)』という雑誌が主催した「半島の代表的麗人ミスコレア三千里一色」を選ぶ写真公募展で1位になった。
三千里社は「欧羅巴には全欧羅巴を代表する美しい美人がいて、各国にも同じような人がいる。私たち半島にも全朝鮮を代表する麗人一人を見つけよう」とし「高尚典雅で美しい美貌に均斉のとれた体格、満身が叡智と聡明に満ちたような近代的麗人」を選ぶと広告を出した(『三千里』、1931年5月)。 「18歳以上の朝鮮女性、3年以内の写真であること」を応募資格条件に、審査は「審美界の権威」を持つイ・グァンス、ヨム・サンソプ、キム・オク、アン・ソクジュ、イ・スンマン、ホ・ヨンスク、ナ・ヘソク、キム・ウォンジュ、チェ・スンヒが担当した。 その年の10月、計326人の応募写真のうち、特選1人を含む14人の入賞者を選定して発表したが、チェ・ジョンウォンが特選に選ばれたのだ。
チェ・ジョンウォンは解放直後、夫と越北したため、あまりよくは知られていないが、興味深い履歴が多い女性だ。 彼女は文人・崔正煕(チェ・ジョンヒ)の妹で、女子高等普通学校を卒業した後、看護師として活動していたインテリ女性だった。 1934年、彼女は日帝時代の最も代表的な社会主義芸術運動団体KAPFの盟員だった評論家、李甲基(イ・ガプキ)と結婚し、彼の故郷の大邱(テグ)へ行った。 李甲基は、小説家イ・ヒョソクが文人の‘公共の敵’朝鮮総督府検閲係に就職すると、「お前も犬になったのか」と非難し、イ・ヒョソクに職場をやめさせた人物としても有名だ。 ところが、夫婦が一緒に歌を歌い、文学理論も討論する新婚生活を始めてから数週間後、李甲基はKAPF盟員に対する日帝の検挙事件で逮捕された。(『三千里』、1935年1月)。
獄中の夫を支えながらチェ・ジョンウォンがした活動もまた格別なものだった。 彼女は「洛東江(ナクドンガン)」という小説を発表した。 「洛東江」は当代の洛東江流域に発生した水害を素材にしたもので、貧しい小作人の悲劇的な生活、連帯と闘争を写実的に描写した作品だ。 この作品は小説家チャン・ヒョクジュから「完璧なリアリズム」の小説で、幼い女性が書いた作品だとは思えないほど秀作だという絶賛を受けた(チェ・ジョンウォン氏の「洛東江」を読んで、『三千里』、1934年11月)。 こうした作品創作を通じて、彼女は理念と理想を共有した夫の代わりに、無産階級のための芸術運動の夢を引き継ぎたかったのではないだろうか。
イ・ヨンア建国(コングク)大学からだ文化研究所研究員
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