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フォーミュラ1(F1)コリアGPが23-24日、全羅南道霊岩(チョンラナムド・ヨンアム)サーキットで開かれた。 開幕2週前にようやくサーキットが完工したため、付帯施設も不足し、問題点も表れたが、その間2度も大会が白紙になったことを考えると、今大会の意味は大きい。 「世界5番目の自動車生産大国だがモータースポーツ貧国」という不均衡をある程度解消する契機が用意されたからだ。
モータースポーツ不毛地だった韓国で、早くからF1を企業文化と欧州市場のマーケティングに取り入れていた企業人がいる。 故趙秀鎬(チョ・スホ)韓進(ハンジン)海運会長は1997年からF1を後援した。 欧州主要船主を引き込むためにF1を活用したのだ。 F1はレースの半分以上が欧州で開催されるうえ、最高級の社交場だ。
故人はスポーツカーを楽しむスピード狂ではなかったが、F1マニアだった。 韓進海運は02年、ルノーF1チームの2番目のスポンサーになった。 ルノーのマシンには大きな韓進海運のロゴが登場した。 欧州法人長を務めた韓進海運の李原佑(イ・ウォンウ)専務は「生前に趙会長が『スポーツカー狂だからF1が好きなのか』という質問を受け、『リムジンの後ろの席がもっと楽だが、F1からシステムと危機管理という経営要素を学ぶことができる』と答えた」と話す。 故人は経営陣に「完璧を目指した限りない探索、柔軟なオペレーション、最高のチームワークをF1から学べ」と要求したりもした。
F1はスポーツと見るよりも精密科学に近い。 0.001秒を競うレースだ。 マシンの製作には先端科学が応用される。 軽量化とエアロダイナミクスがそれだ。 組織的なシステムも重要だ。 6人がわずか6秒で4つのタイヤを交換する。 趙会長はこうしたF1の長所を企業文化に適用しようとした。 趙会長は機会さえあればF1を見に行った。 2005年にがんとの闘病生活を送り、状態が好転すると、4月にはマレーシアGPを観戦した。 レース直前に選手の控え室を訪れ、24歳で最も若かったルノーチームのフェルナンド・アロンソに「今日のレースはあなたのレースだ」と言って親指を立てた。 アロンソはその日優勝し、05、06年もワールドチャンピオンになった。 06年11月に趙会長が死去すると、ルノーチームは翌年のマレーシアGPで、友人であり後援者だった「Sooho Cho」をマシンに刻んでレースに臨んだ。 企業人の名前を付けてレースに出たのはその時が初めてだった。 アロンソは今年の霊岩大会でも優勝した。
金泰ジン(キム・テジン)記者
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