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誰かの宴の日が他の人には喪の日になったりする。その激しい喜悲双曲線が昔のオスマン王朝では重ねて起こり問題だったが。1574年12月22日、スルタン(皇帝)ムラード3世の即位式と彼の5人兄弟たちの葬式が1日の間に行われたようにだ。
オスマンのサルタンたちは幾多の妾を従えたので王座をめぐり、母親の違う息子たち同士、血の争いをするほかなかった。そこで勝利して権力の座に上った王子は、自分の兄弟たちを全部絹の紐で首を締め殺してしまうのが慣行だった。王位さん奪の可能性を源泉封鎖するためだ。ムラード3世の息子メフメド3世が即位する時はおおよそ19人にもなる兄弟たちの命を奪い取ったほどだ。
時には死後の情勢不安を心配した父親があらかじめ手を使った。オスマン帝国の全盛期を導いたスレイマン大帝がそうだった。後継者に有望視されたセリムのほかに息子はもちろん孫たちまで皆殺害してしまった。帝国の安定が最優先の課題である人々にとって父子や兄弟の間の私的な情などは単なる贅沢にすぎなかったのだろう。
死を控えてチンギス・カンもなんとか構築したモンゴル帝国の未来のために寵愛した長男を犠牲にさせたという説がある。長男ジョチは彼の妻が違う部族に捕虜にされ、帰ってきてから生まれた子だ。そうしてみると後継者を決めるために召集したクリルタイ(会議)で次男が「私たちがどうして私生児の統治を受けることができようか」と反発し、兄弟間でなぐりあいが起こる。数日後、突然ジョチが死んでしまうと、チンギス・カンが息子たちの権力闘いを阻もうとしたものだといううわさが広まった。
3代世襲で体制延長を夢見る北朝鮮に対し「世界で唯一のコメディー」「最高のリアリティーショー」という皮肉が飛び交っている。マカオに送った金正男(キム・ジョンナム)も暗殺しようとしたと言ったら「マクチャンドラマ」(強引なドラマ)だとまで言われた。もし金正日-キム・ジョンウン父子は競争者を殺して軍さえ掌握すれば“王権”が自然に保障されると思うのか。
「国を征服することと軍隊を征服するのは違う…国は人々の心を得ればこそ征服することができる」チンギス・カンが死ぬ前、息子たちに残した教えだ。「民が幸せになる前は、リーダーは決して幸せではない」と解法も提示した。それなのに不出来な息子たちは父の帝国を完全に守りぬくことができなかった。こんな立派な遺訓さえ聞くことのない金正日の幼い息子はどうなるだろう。
シン・イェリ論説委員
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