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値段が安くて栄養が満点のサバ(コドゥンオ)はかなり昔から‘国民の魚’だった。大衆歌謡や詩にも何度も登場した。「夜中に喉が渇いて冷蔵庫のドアをあけて」みた息子が見た母の温かい愛情は「塩で味付けしておいて眠る」母のサバに表現された(キム・チャンワンの歌「母とサバ」)。昔の恋人との印象深い瞬間を「一緒にサバの身をしゃぶり食べた女性がパッと笑った日」として追憶する詩人もいた(カン・ジョン著「サバ恋人」)。歌手のノラジョはマグロ・サンマ・太刀魚よりもサバを優先順位に置いた。「あなただけのためのDHA」を持った「ビューティフル魚」という賛辞とともに(「サバ」)。塩サバは味が一品なので海外にも輸出された。ホ・ヨンマン画伯の『食客』は、安東(アンドン)塩サバについて「尾までしゃぶり食べたいほどおいしい」と描写する。
サバ(コドゥンオ)は「背(ドゥン)が丸く膨らんだ魚」から来た言葉だという。腹に斑点があれば「拝学魚」、なければ「碧紋魚」とも呼んだ。韓国で最も古い魚類学術書である丁若銓(チョン・ヤクジョン)の『茲山魚譜』に出てくる「学名」だ。『東国輿地勝覧』が刃物のようだとして古刀魚(コドオ)と呼んだことにも語源を見いだしたりする。
今では庶民の魚だが、日帝時代には値段が高く、日本人が好んだ魚でもあった。日本語でコドゥンオは「サバ(鯖)」だ。裏で事の処理をするという言葉の「サバサバハダ」の語源を話す時、この魚を持ち出す理由だ。人々が官庁にわいろを渡す時、コドゥンオ(サバ)を愛用したというところから「サバサバ」になったという主張だ。魚屋が市場でサバを数える時にごまかすことに由来した「サバを読む(適当にごまかして利益を得る)」が語源という話もある。もちろん二つとも説にすぎない。
長い間‘国民の魚’の地位にあっただけに、サバの値動きは庶民にとって大きなニュースだ。数日前、国産サバが一匹9900ウォンで売られて話題になった。「コドゥンオでなく金ドゥンオ」「だから中ドゥンオ、低ドゥンオではなく高(コ)ドゥンオでは」というネットユーザーのコメントは面白い一方で気が重い。物価が一日も早く安定し、「(とても美味しいので)嫁には与えない」という秋のサバが、また親しみやすい価格の「ビューティフル魚」に戻ることを願う。そうなってこそ庶民が「明日の朝はサバが食べられる」(「母とサバ」)という喜びを抱いて寝床に入れるのではないだろうか。
キ・ソンミン文化スポーツ部門記者
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