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【時視各角】オーノを表彰台に立たせるな(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
 アポロ・アントン・オーノは1982年に米国シアトルで生まれた。 2002年に出版した自叙伝「a Journey」によると、移民した日本人の父(大野幸)が18歳の白人少女と結婚し、オーノを産んだという。 夫婦の仲は良くなかったようだ。 1年後に別れた。 ヘアーサロンをしていた父はオーノを一人で育てた。 父は息子を主流の米国人に育てようとした。 自分のように‘ジャップ’として生きるなと言い聞かせた。 息子に‘アメリカンドリーム’を吹き込んだ。 幼い息子がうまくできることを探した。 それがショートトラックだった。 14歳のオーノは最年少の米国チャンピオンになった。 その時からだった。 韓国とオーノの長い悪縁が始まったのは。

2002年2月17日。 ちょうど8年前の今日、米ソルトレークシティーではショートトラック1000メートルの決勝戦が行われた。 安賢洙(アン・ヒョンス)が先頭に跳び出してくる瞬間、オーノの手が安賢洙の膝を握った。 安賢洙はオーノと一緒に転倒した。 オーノはすぐに立ち上がって銀メダルを獲得した。 初の五輪メダルだった。 この時まではまだよかった。

本当の悪縁はその4日後だった。 今度は1500メートルの決勝戦。 韓国の金東聖(キム・ドンソン)が1位で決勝ラインを通過した。 2位のオーノは、金東聖が反則をしたと言わんばかりに両手をあげた。 「オー、ノー」と。 かの有名な‘オーノ版ハリウッドアクション’だ。 審判陣は金東聖を失格処理した。 こうしてオーノは初めて金メダルを握った。


ただでさえ国内が沸き立っている時だったが、オーノはそこに油まで注いだ。 テレビショーに出演し、「金東聖はうっ憤晴らしに補身湯(犬肉スープ)でも食べたのだろう」と話した。 「金メダルを奪っていったくせに反省どころか嘲るとは…」。その年、韓国はオーノの悪口で国が騒がしくなるほどだった。 オーノの頭を撃つゲーム、スクリーンショットが登場し、オーノの顔を印刷したチリ紙も登場した。 ‘オーノらしい’という言葉も流行した。 ‘正当ではなく術策を使う行為’はすべて‘オーノらしい’ものになった。



【時視各角】オーノを表彰台に立たせるな(2)

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