본문 바로가기
이전 페이지로 가기 공유하기 주요 서비스 메뉴 열기

100年前の「皇室特派留学生」趙素?、彼の見た日本は…(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

◆日本をどう見るのか=1905年11月24日付には、亡国青年の痛みがにじみ出ている。「今日のような羞恥は初めて感じた。五百年の社稷が一瞬にして崩れるようだ。2000万の国民がいっぺんに奴隷になったのではないか。胸が裂けて行くようだ」

一方、1906年7月19日には近代文物に対する驚きを書いた。「町内があれば必ず学校がある。(…)貧困な農村にも電気通信施設がある。山道にも車道が敷かれている。どこに行っても何かを作る工場がある。ところで孤児や、やもめたちが目立つ。どうしてなのか。日露戦争で夫が皆、死んでやもめが多くなったのではないか」この日記の最後の部分の孤児とやもめの話は小さな字で書かれている。安重根(アン・ジュングン)の義挙や庚戌国恥(庚戌=1910年、韓日併合のこと)に該当する日の記録はまったくない。

武井氏は「日本側に没収されないかと恐れている心情が日記から読みとれる。官費の留学生で日本の警察の目を意識しなければならなかったのだろう」と話す。また「素昻が創始した三均主義はまだ登場していないが、社会問題に関心が高く、専攻である法学以外にも哲学や心理学を深く勉強した青年、趙素昻が見える」と付け加えた。日記には素昻が安在鴻(アン・ジェホン)、曺晩植(チョ・マンシク)、金性洙(キム・ソンス)、宋鎮禹(ソン・ジンウ)ら近代韓国の大物と交流する姿も見られる。


素昻の哲学は三均主義に要約される。政治、経済、教育の均等を主張した。それを称える三均学会(理事長チョ・マンジェ)は今年、武井氏を招請、2日午後2時からソウル歴史博物館大講堂で学術会議を開く。チョ理事長は「一方をもっては恥ずかしく、もう一方をもっては100年前の留学生の日記まで翻訳する日本の底力が恐ろしい」と述べた。



◆趙素昻=大韓民国臨時政府の最高理論家に挙げられる。臨時政府国務委員兼外務部長を務めた。1930年、上海で結成された韓国独立党の綱領である三均主義の創始者として有名だ。韓国独立党は上海臨時政府の中心勢力が作った政党で、その流れは解放以後までつながる。初代理事長の李東寧(イ・ドンニョン)とともに金九(キム・ク)、安昌浩(アン・チャンホ)、李始栄(イ・シヨン)、趙素昻らが理事として加わった。対内的三均(政治、経済、教育の均等)と対外的三均(個人と個人、民族と民族、国家と国家の均等)を骨子とする。48年、単独政府樹立に反対して南北交渉に加わり、6・25戦争で北朝鮮に拉致された。





100年前の「皇室特派留学生」趙素?、彼の見た日本は…(1)

関連記事

この記事を読んで…

포토뷰어

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    공유하기

    팝업닫기
    top 메뉴