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【その時の今日】経済成長の隠れた主役、ドイツへ向かった鉱夫

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



1963年12月21日、エールフランス航空のチャーター便は西ドイツ・ルール炭鉱へ向かう鉱夫ら123人を乗せて金浦(キンポ)空港を離陸した。

人口2400万人、失業者250万人、従業員200人以上の企業54社、1人当たりの国民総生産(GNP)が87ドル(約7800円)。貧困がこの地に広がり、暮らしをたてることすら苦しかった当時のこと。月給162ドル50セント(650独マルク)は大卒者までも移住労働の機会をつかむための競争に加わるのに十分だった。


「鉱夫の身元情報は千差万別。元鉱夫から明洞(ミョンドン)で暴力を振るっていた与太者、大卒者、退職した高校教師、失敗した実業家、予備役中佐のほか、国会議員秘書官を務めたが議員が落選し、鉱夫に変身、西ドイツに飛んできた人もいた(「ドイツへ向かった一人々」、ヌンビッ、2003年)」。

産業化の胎動期だったその時代、韓国社会は高い人口増加率と失業率、そして外貨不足に苦しめられ、国境を越える労働移民はこれを解消するための脱出口であった。2800人にのぼる志願者のうち367人の選抜者名簿は、新聞の社会面に、国家試験の合格者のように名前が掲載された。「定刻6時にバス付きの更衣室で作業服を着て、プラスチックの水桶2つに水をぎっしり入れた後、エレベータに乗って地下1200メートルまで降りていくと、東方に徒歩で再び1キロ、また、ここで作業服を脱いでパンツ姿になり、働く準備を完全に終える。腰につけた安全燈やガス防止向けのフィルターを点検しなければならず、作業用の革の手袋をはめた手には2つの水桶とハンマーを持ち、膝には膝を覆う布を結んだ後、15度の傾斜路の下り坂を再び500メートルほど降りてようやく炭坑に至るが、すでに体はびしょ濡れで、パンツからはぽたぽたと汗がしたたる」。

この地に比べて、当時、相対的に良い労働条件と賃金を受けたものの、これらは差別を受ける社会的少数者であった。「2365番!それは私の固有番号だ。鉱山側はもちろん、鉱山局、病院、役所、警察署、税務署などどこでもグライ鉱業所の2365番といえば、私のことを指す」(「西独の韓国人」、第3出版社、1971)。鉱夫チャン・ジェヨンの記憶の中で、自身は番号として管理される労働力であって、人間ではなかった。

戦後、経済復興のため深刻な労働力不足に苦しめられていたドイツは看護師も要請した。派遣が中断された70年代末まで、7936人の鉱夫と1万32人の看護師が汗を流して送金してきた外貨は祖国の産業化の踏み台になった。

移住労働者を受け入れる国に逆転した今日。「ドイツは労働力を求めたが、労働力ではなく人間が来た」としたドイツ小説家の独白のごとく、経済成長の隠れた主役だったこれらの哀歓の歴史は、我々を戒め、悟らせる「頂門一鍼(頂門の針 痛い教訓という意)」として働く。

               慶煕(キョンヒ)大学部・許東賢(ホ・ドンヒョン 韓国近現代史)学長



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