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【その時の今日】韓国初の飛行士、安昌男…植民地の祖国の空を飛ぶ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版



1922年12月10日、汝矣島(ヨウィド)におよそ5万人が集結した。

東京・小栗飛行学校を卒業し韓国人初の飛行士になった安昌男(アン・チャンナム)の「故国訪問の大飛行」をひと目見ようとする人々だった。ソウルと付近の各学校は授業を中断して生徒を送り、鉄道局は「飛行列車」を編成し割引料金で運行した。京城(キョンソン)電気株式会社も電車の運行回数を増やして観衆の動員に協力した。


京城楽隊の奏楽が広がる中、汝矣島の簡易飛行場を離陸した「金剛(クムガン)号」はソウルと仁川(インチョン)の上空を旋回した後、無事着陸した。安昌男はこの時の飛行の所感を「空中から見た京城と仁川」にまとめて、月刊誌「開闢(かいびゃく)」に寄稿した。

「飛行場から1100メートル以上を高く飛び上がると、早くも京城を眺めることができた。続いて最も先に目につくのは南大門(ナムデムン)だった…。独立門(トンニムムン)の上を飛行する際、西大門(ソデムン)監獄からも自分らの頭上を飛んでいるのが見えたはずだが、閉じこめられている兄弟の何人がそこまで飛んだ私の気持ちや私の体を見てくれたことだろうか…」。

安昌男の飛行以来、世間では「飛んだぞ、見てみろ。安昌男の飛行機から見下ろすと厳福童(オム・ボクトン、1913年と1922年の全朝鮮自転車競技大会で優勝した韓国選手)の自転車」という歌詞が流行した。

帝国主義の植民統治体制は日常的な民族差別の体制でもある。帝国主義・日本による植民支配時代に韓国人は地位の上下を問わず、ほぼ毎日「プライドの損傷」を体験した。傷付けられたプライドを一瞬でも回復してくれたから、安昌男は直ちに「民族の英雄」となった。

安昌男も西大門監獄に閉じ込められた人々に「兄弟愛」を感じた。「共に差別を受ける民族」という名が、普段なら、町ではすれ違っていたはずの人々に、共感の道を作った。現在の金妍児(キム・ヨナ)や朴泰桓(パク・テファン)、朴智星(パク・チソン)などといったスポーツスターは韓国人が「民族」の名で疎通できる機会を作ってくれるという点から、安昌男の後裔(こうえい)であるわけだ。

安昌男の飛行が韓国人に贈ったのは「プライド」だけではなかった。同氏が金剛号からまいたビラには「飛行機の発明、航空機の発達はいまや人類の生活を抜本的に変化させている」という内容が記されていた。同氏の寄稿文を通じて「空中から見下ろす観点」を新たに得ることにより、韓国人は初めて3次元の視野を確保できた。平地で向かい合えば「対立」だが、空から見おろせば「鳥瞰(ちょうかん)」だ。しかし、飛行機が日常化した今日にも2次元の空間で対立することしか知らない人が多すぎる。

                   ソウル大病院・病院歴史文化センター、チョン・ウヨン研究教授



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