最近、米国のニューヨークタイムスとAP通信、イギリスのBBC、ガーディアンなど世界有力メディアが14日、忠南牙山(チュンナム・アサン)の鮮文(ソンムン)大学をはじめとし、あちこちで開催された統一教会の国際合同祝福結婚式を主要記事として扱った。国内メディアは故・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の次女であるパク・クンリョンさん(55)夫妻が合同結婚式に参加したという点を詳しく書いた。国内メディアと電話インタビューでパク・クンリョンさんは「統一教会の奉仕精神と聖書の解釈に魅力を感じた」と語った。
世界のメディアが今回の行事を大きく報道した理由はさまざまだ。文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が執り行った今回の合同結婚式は、99年以来の最大規模(4万5000人)だった。10年ぶりの大イベントだった。文総裁は今年1月31日、90歳の誕生日を迎え、ハーバード大学を卒業した3人の息子を中心に最近、後継者構図を確定した。国内企業部門を文国進(ムン・ククチン)統一グループ会長(39)が、国際活動部門は文顕進(ムン・ヒョンジン)天主平和連合(UPF)議長(40)が担うことになった。宗教部門の文亨進(ムン・ヒョンジン、30)牧師はハーバード大学で哲学・神学を勉強した。仙仏教を信仰していたこともあったが、カトリック修道院でも生活をした。
海外学界やメディアは、カルト(cult)や宗派(sect)の代わりに「新宗教運動」(new religious movement)という中立的な表現を使う。西欧人の立場で統一教会は20世紀に「多く論議を呼んだ新宗教運動の1つ」だ。統一教会の核心文献である「原理講論」(Divine Principle)や「神様が望む平和世界は死んでから行く天国ではない」という文総裁の主張は、神学界に論議を呼び起こした。また統一教会指導部の私生活問題や財産問題が海外メディアで集中的に報道された。AP通信は「統一教会の洗脳方式は、北朝鮮がすることとまったく同じ」と語るある韓国人脱会者の言葉を伝えている。
統一教会は1954年、世界基督教統一神霊協会(The Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity)として創立され、94年に世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)に改名された。文総裁は教会より協会・連合という表現を好む。
今年キムヨン社から出版された「平和を愛する世界人に」で、文鮮明総裁は「異端、エセは私の名を飾る固有名詞でした」と回顧する。論難の中で統一教会は、世界の主流になろうとする活動をしてきた。東西冷戦時代には「勝共」を掲げた。旧ソ連・東欧圏の崩壊を迎え、90年当時、旧ソ連の共産党書記長であるミハイル・ゴルバチョフ氏と会談し、91年には金日成(キム・イルソン)主席と義兄弟の契りを結んだ。91年にはワシントンタイムスを創刊し、米国政界の保守主義を代弁した。
国際化時代、多文化の環境にも適応した。日本(1958年)、米国(1959年)に宣教師を送った。75年からは世界120カ国を対象に宣教活動を広げた。90年代からは旧ソ連・東欧圏に進出した。世俗化、多文化の環境の中では「宗教間の対立」に劣らず「宗教と非宗教間の対立」が目立つ。統一教会は家庭の価値を掲げ、宗教間の平和を標榜した。94年には世界宗教学者40人に依頼し「世界経典」を刊行した。キリスト教、イスラム教、仏教など世界主要宗教の内容は73%が同じだという点に着眼したものだ。
一方、数十年前から文総裁の発言には「民族主義的」性向が現れていた。「平和を愛する世界人に」には次のような文総裁の言及がある。「天地がひっくり返って韓国が世界を一度にすべてを統一する」「世の中の人々が韓国人に生まれることができなかったことを恨み、嘆くときが来ると思う」。一部ではキリスト教が東学(朝鮮末に興った新宗教。1860年ごろ崔済愚(チェ・ジェウ)が、西学=天主教に対抗するものとして、民間信仰に儒・仏・道の三教を折衷して創始した)と融合したときに誕生したのが統一教会だという主張が提起された。
文総裁の表現によれば今は「世の中が完全にひっくり返る変化の時期」だ。東アジアと韓国が世界の中心になる時期だ。韓国とフィリピンが統一教会の東アジア活動から主要軸として浮上している。宗教部門の後継者である文顕進牧師は透明性を強調している。教区長を任命制から選挙制に変えた。合同結婚式の参加者らも以前と違い、結婚式の前にデートを数回するようになった。
数十万から数百万に達する海外統一教会の信者たちは、自分たちの信仰を「統一主義」(Unificationism)と歌い、自らは「統一主義者」(unificationist)と定義する。統一教会内で文総裁の権威は絶対的だ。統一主義者たちがポスト文(Post-Moon)時代にも「原理講論」を中心に信仰生活を営むのか、世界学界とメディアが注目している。
世界のメディアが今回の行事を大きく報道した理由はさまざまだ。文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が執り行った今回の合同結婚式は、99年以来の最大規模(4万5000人)だった。10年ぶりの大イベントだった。文総裁は今年1月31日、90歳の誕生日を迎え、ハーバード大学を卒業した3人の息子を中心に最近、後継者構図を確定した。国内企業部門を文国進(ムン・ククチン)統一グループ会長(39)が、国際活動部門は文顕進(ムン・ヒョンジン)天主平和連合(UPF)議長(40)が担うことになった。宗教部門の文亨進(ムン・ヒョンジン、30)牧師はハーバード大学で哲学・神学を勉強した。仙仏教を信仰していたこともあったが、カトリック修道院でも生活をした。
海外学界やメディアは、カルト(cult)や宗派(sect)の代わりに「新宗教運動」(new religious movement)という中立的な表現を使う。西欧人の立場で統一教会は20世紀に「多く論議を呼んだ新宗教運動の1つ」だ。統一教会の核心文献である「原理講論」(Divine Principle)や「神様が望む平和世界は死んでから行く天国ではない」という文総裁の主張は、神学界に論議を呼び起こした。また統一教会指導部の私生活問題や財産問題が海外メディアで集中的に報道された。AP通信は「統一教会の洗脳方式は、北朝鮮がすることとまったく同じ」と語るある韓国人脱会者の言葉を伝えている。
統一教会は1954年、世界基督教統一神霊協会(The Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity)として創立され、94年に世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)に改名された。文総裁は教会より協会・連合という表現を好む。
今年キムヨン社から出版された「平和を愛する世界人に」で、文鮮明総裁は「異端、エセは私の名を飾る固有名詞でした」と回顧する。論難の中で統一教会は、世界の主流になろうとする活動をしてきた。東西冷戦時代には「勝共」を掲げた。旧ソ連・東欧圏の崩壊を迎え、90年当時、旧ソ連の共産党書記長であるミハイル・ゴルバチョフ氏と会談し、91年には金日成(キム・イルソン)主席と義兄弟の契りを結んだ。91年にはワシントンタイムスを創刊し、米国政界の保守主義を代弁した。
国際化時代、多文化の環境にも適応した。日本(1958年)、米国(1959年)に宣教師を送った。75年からは世界120カ国を対象に宣教活動を広げた。90年代からは旧ソ連・東欧圏に進出した。世俗化、多文化の環境の中では「宗教間の対立」に劣らず「宗教と非宗教間の対立」が目立つ。統一教会は家庭の価値を掲げ、宗教間の平和を標榜した。94年には世界宗教学者40人に依頼し「世界経典」を刊行した。キリスト教、イスラム教、仏教など世界主要宗教の内容は73%が同じだという点に着眼したものだ。
一方、数十年前から文総裁の発言には「民族主義的」性向が現れていた。「平和を愛する世界人に」には次のような文総裁の言及がある。「天地がひっくり返って韓国が世界を一度にすべてを統一する」「世の中の人々が韓国人に生まれることができなかったことを恨み、嘆くときが来ると思う」。一部ではキリスト教が東学(朝鮮末に興った新宗教。1860年ごろ崔済愚(チェ・ジェウ)が、西学=天主教に対抗するものとして、民間信仰に儒・仏・道の三教を折衷して創始した)と融合したときに誕生したのが統一教会だという主張が提起された。
文総裁の表現によれば今は「世の中が完全にひっくり返る変化の時期」だ。東アジアと韓国が世界の中心になる時期だ。韓国とフィリピンが統一教会の東アジア活動から主要軸として浮上している。宗教部門の後継者である文顕進牧師は透明性を強調している。教区長を任命制から選挙制に変えた。合同結婚式の参加者らも以前と違い、結婚式の前にデートを数回するようになった。
数十万から数百万に達する海外統一教会の信者たちは、自分たちの信仰を「統一主義」(Unificationism)と歌い、自らは「統一主義者」(unificationist)と定義する。統一教会内で文総裁の権威は絶対的だ。統一主義者たちがポスト文(Post-Moon)時代にも「原理講論」を中心に信仰生活を営むのか、世界学界とメディアが注目している。
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