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「日本人は保守的なので体制を大きく変えることは怖がって決断を下せない」2006年のあるインタビューで当時日本民主党代表を務めていた小沢一郎が言った言葉だ。いくら自民党が憎くても投票場では結局票を与えてしまった日本の有権者たちの性向を指摘したのだ。
これを知らぬわけのない小沢氏が1993年、自民党を蹴って飛び出し、政権交代を主唱したのは無謀に近かった。
自民党に残ったら軽く首相になるのに十分だった彼が、敢えて大変な道を選んだところにはさまざまな理由があったはずだ。軽く得る権力より奪取する権力を望むけんかっ早い人的気質が動いたとも言え、自分の改革路線を拒否した自民党元老たちに対する復讐心も心の片隅にあったかもしれない。しかし、より根本的な理由は彼の政治哲学にあったと思う。93年、自民党離党直前に出版してベストセラーになった「日本改造計画」に被せた彼の哲学は16年が去った今もあまり変わった点がない。
小沢氏は日本には真の政治がないと批判した。国会と政治家は高度成長がもたらした過失を互いにどう分けて食べるかを決めることにばかり汲々としているだけだ。多数決よりは満場一致が美徳として通用すると、与党は野党の機嫌を伺うために決断を下すことができず、権力意志のない野党は与党が施す恩恵授与に安住するだけだ。そうしてみると自民党は半永久執権党になり、日本は官僚が作った各種規制装置で回る社会になったというのだ。彼は政権交代が可能なシステムを作って初めて日本を改造することができると主唱した。小沢氏が小選挙区制導入にそのように命をかけた理由だ。
おととい、日本総選挙が民主党の圧勝で終わった。政権交代の一等功臣小沢氏の姿を載せた報道写真の中には大笑いする場面とともに涙する場面もあった。どうしてか、16年の悲願が初めて実現する瞬間だったのに。政治資金スキャンダルの余波で彼はたとえ総理職には就けないとしても、自分の派閥議員120人の力をもとに日本を牛耳ることになった。彼が「日本改造計画」に掲げた改革課題はこれから与党になる民主党の政策公約にそのまま反映されている。国連平和維持部隊創設などがその例だ。これから日本の行く道を知るには16年前51歳の小沢氏が書いた「日本改造計画」をまた取り出して読むのがてっとり早い道だ。
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