|
‘ものづくり’で難局突破
‘失われた10年’は韓国でもよく知られている言葉だ。 日本が1990年代初めからのバブル経済崩壊による傷を治癒するのにかかった時間を意味する。 あれから10余年が過ぎたが、日本経済は以前の体力を完全に回復できていない。‘失われた10年’の間、日本政府がとった対策は致命傷の患者の命を救う‘大手術’だった。
その間、日本の国民と企業が見せた自助努力は回復に向けた‘リハビリ’過程だと言える。 歴史は繰り返される傾向にあるが、全く同じく再現されるわけではない。 登場人物と時代的状況が異なるからだ。 しかし歴史の鏡を注意深く眺めると、それが教訓であれ反面教師あれ、学ぶ点は多い。 日本は‘失われた10年’に何をしたのか。
◇日本バブル‘手術費用’100兆円
過去、日本がバブル経済崩壊による不良債権規模が把握できずに慌てている時、大蔵省や銀行は10兆円前後という安易な推定値を出した。 この時、少なくとも80兆円は超えると主張して世間の注目を受けた人物がいる。 三国陽夫氏だ。 1963年に東京大学法学部を卒業した後、野村証券に勤め、現在は債券格付け会社の三国事務所を経営している。
偶然かどうか分からないが、三国氏の推測はほぼ正確な値をとらえ、日本の不良債権規模は100兆円と表れた。 その三国氏が最近、当時の計算方式を使って米国の不良債権総額を推算し、再び注目を浴びている。 3兆ドル。 日本が‘失われた10年’を収拾するのに投じた費用の3倍だ。
日本の‘失われた10年’から学ぶ(2) 日本の‘失われた10年’から学ぶ(3)
この記事を読んで…