![]() |
|
日本初の女性政党党首と唯一の女性衆議院議長を務めた社民党の土井たか子名誉党首が政界引退の意向を示した。
土井氏は6日、「衆院選に立候補すると言ってないということがどういうことかははっきりしている」として出馬を見送る考えを明らかにした。福島瑞穂党首も同日、遊説先の兵庫県尼崎市で「比例代表として出るよりも名誉党首として近畿地方を中心に応援に回ってもらいたいい」と述べた。土井氏は「議員でないと政治活動をできないわけではない」と強調したが、一部メディアは事実上の政界引退だと解釈している。
‘山(自民党)を動かした女’‘社会党再建のマドンナ’など多くの修飾語を持つ土井氏は、日本の女性パワーのシンボルであり、進歩勢力のリーダーとして日本の政治史に大きな足跡を残した。自衛隊の海外派遣禁止など平和憲法を擁護し、政治家の靖国神社参拝など右傾化する日本の政界の流れに警告してきた。
1969年の衆院選で兵庫2区から出馬して初当選し政界に入った。11選を記録し‘社会党の看板’として歩んできた道のりは、それ自体が戦後日本の進歩勢力が歩んできた歴史だといえる。86年に社民党の前身である社会党の中央執行委員長に就任し、日本の憲政史上で初めての女性党首となった。89年の参院選では与野党の議席数が逆転する中、初の女性首相候補として指名され、93年には初の女性衆院議長となった。
土井氏が党首を務めた社会党は全盛期をおう歌した。社会党は89年の参院選で政権与党の自民党の過半数獲得を阻止し、翌年の衆院選では議席数を2倍近い136議席まで増やした。当時土井氏は「山が動いた」という名文句を残した。‘山’とは55年から長期執権を続けた自民党を意味する。89年の総選挙では、土井氏が応援する女性政治家が大挙当選し、いわゆる‘マドンナ旋風’を巻き起こした。しかし自民党との連立に伴うアイデンティティの喪失は社会党の立場を急激に弱めた。‘水と油’といわれた自社連立政権は2年で幕を下ろした。その後、社会党は新たなビジョンを提示できず、少数野党に転落していった。
土井氏は2005年の衆院選で比例代表で出馬したが落選。翌年に社民党名誉党首に就任したが、高齢などから政治の第一線からは一定の距離を置きながら、講演などの活動を続けてきた。
この記事を読んで…