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日本の政界で「大物ハト派」と呼ばれた河野洋平(71、写真)衆院議長が政界引退を控えた18日、日本の若い政治家に対して「韓国、中国との外交に正しい姿勢で臨むべきだ」と忠告したと朝日新聞が19日、報じた。
河野議長は93年の官房長官時代、太平洋戦争当時に日本軍が従軍慰安婦を強制動員したことを認め、日本政府の謝罪と反省を表明した「河野談話」の主役だ。河野議長は同夜、神奈川県箱根町湯本のホテルで記者会見し、政界からの引退を正式表明した後、若い政治家に「広島は(原爆の)被害者だが、日本は加害者の立場であることも勉強してほしい」とした上で「特に韓国、中国に対する外交姿勢を真剣に考え、正しい姿勢で臨んでほしい」と要請した。
若い政治家に対して、歴史意識を持ってアジア外交に臨まなければならない、と注文をつけたのだ。河野議長は以前から太平洋戦争を体験していない若い政治家が増え、彼らの相当数が「日本帝国主義による加害」を忘却したまま、保守、右傾化の傾向を見せているのを懸念してきた。
引退会見で河野氏が再度この問題に触れたのは、来月26日の総選挙を控えて保守化の風が吹いているのを懸念したためと受けとめられている。同氏は慰安婦を募集する過程に軍当局が介入したという「強制性」を認め、謝罪と反省を表明した93年の「河野談話」について「極めて重要な談話だった」と振り返った。
河野氏は当時「慰安婦は本人の意思に反して、募集、移送、管理された」とし「心からのお詫びと反省の心情を申し上げたい」と述べている。この発言はその後、日本政府の公式の立場となり、保守右翼の政治家が責任を避けようとするたび、歯止めをかけてきた。
昨年、当時の安倍晋三首相が「強制性を裏付ける証拠がなかった」として同談話を否定する動きが出たことに関しても心境を述べた。河野氏は「談話を否定したことから米国でも問題が起き、アジア、オランダなどでも取り上げられた。そのたびに日本の政治は何だと言われるのはとても残念だった」と話した。
67年の初当選以来14回当選している河野衆院議長は、河野一郎元農林相の後を継ぐ2世政治家として「プリンス」と呼ばれ、その身分に安住することもできたが、厳しい道のりを歩んできている。
76年にロッキード事件が起きると「自民党の金権政治を改革すべきだ」として離党、外部で改革を主導した後、86年に復党した。02年にはC型肝炎(HCV)を治療するために、息子の太郎(45)衆院議員から生体肝移植を受けた。河野議長は「新しく生まれ変わった気持ちで6年間議長を務め、熱心に仕事をした」と回顧した。
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