柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商部長官が14日、日本政府が中学校社会科の新学習指導要領解説書に独島(ドクト、日本名・竹島)領有権を明記する方針を決めたことに関連し、重家俊範駐韓日本大使を呼んだ。 柳長官は重家大使と握手もしなかった。 柳長官との面談を終えた重家大使が李明博(イ・ミョンバク)大統領の写真が関わっている外交通商部ロビーで記者等の質問に答えている。 写真=金泰性(キム・テソン)記者 |
政府当局者は「今回の解説書改正は、その主体が日本政府という点で、過去の民間出版社による教科書歪曲や地方自治体レベルの事件だった‘竹島の日’制定よりも問題が深刻だ」と述べた。
駐日大使帰国の措置は1965年の韓日国交正常化以来3度ある。 66年の朴正煕(パク・ジョンヒ)政権当時には、金東祚(キム・ドンジョ)駐日大使が、日本が北朝鮮にプラント輸出をしたことに対する抗議の表示として一時帰国し、金泳三(キム・ヨンサム)政権末期には、日本の一方的な韓日漁業協定破棄による波紋に抗議するため金太智(キム・テジ)駐日大使を帰国させている。 また01年4月には金大中(キム・デジュン)政権が日本の歴史教科書歪曲に抗議するため崔相竜(チェ・サンリョン)大使に帰国命令を出した。 7年ぶりの今回の駐日大使帰国措置は4回目となる。
政府当局者は「権哲賢(クォン・チョルヒョン)駐日大使が15日、日本外務省を訪問し、今回の措置に対する抗議の意を伝えた後、一時帰国する予定」と述べた。
ただ、政府は今回の措置について「業務協議のための一時帰国」とし、‘召還’という言葉は使わなかった。 現地で把握した状況を政府に報告し、今後の対策を協議するために帰国命令を下したということだ。 大使派遣を取り消すという意味の召還は、断交や公館閉鎖の次に強力な外交的抗議手段。
別の政府関係者は「大使を召還した後、再び派遣する場合には名分がなければならないが、その場合、日本が領有権記述を撤回し、解説書を修正するしかない」と話した。 召還ではなく一時帰国形式をとることで、適切な時点にまた大使業務を再開できる余地を残したのだ。
日本政府は05年、当時の高野紀元駐韓日本大使が「竹島は明白に日本の領土」と発言し、島根県が‘竹島の日’を制定したことで、独島をめぐる葛藤が深まると、発言の当事者である高野大使を一時帰国させた。
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