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【噴水台】牛肉と底引網漁

 外交家には「通商交渉は良くやって当然」という言葉がある。 特に農畜産物や漁業交渉は忌避順位の筆頭だ。 損害を受ける国内利害集団の攻撃が怖いからだ。 1998年の韓日漁業協定は両国交渉団の墓だった。 日本交渉指揮者の佐藤孝行・自民党国際漁業問題特別委員長は政界の隠れた実力者。 佐藤は、「韓国に譲歩し過ぎた」という北海道漁民の反発で致命傷を受けた。 2000年の総選挙で落選し、34年間の国会議員生活を終えた。 韓国でも「底引網漁の実績が抜け落ちた」という問題で金善吉(キム・ソンギル)海洋水産部長官が退任した。 水面下で交渉を率いたキム・ボンホ国会副議長は海南・珍島(ヘナム・チンド)地区で落馬した。

底引網漁問題を振り返ってみよう。 「当時の交渉では入漁隻数や漁獲割当量を94-96年の3年間の漁獲実績を基準に決定することにした。 国立水産振興院の調査では、底引網漁船は2年間、日本海で操業していないという結果が出た。 再び精密実態調査をしてみると、2隻が網を引く底引網漁と1隻の底引網漁が日本の海でそれぞれ1813トン、2000トンを漁獲していたことが分かった。 この2つを大型船底引網と合わせて交渉した末、2873トンの割当を受けた。 …ところが底引網漁の漁民が補償を受けられないと考え、突然、統計が抜け落ちていたとし、年間6500トンを主張した」。『盧武鉉のリーダーシップの話』に出てくる内容だ。 海洋部長官を務め、米国産牛肉を防いだ盧前大統領本人の回顧であるだけに、おそらく間違いないだろう。

当然、大騒ぎとなった。 交渉団が東京に飛んで、許しを請いながら追加交渉を行った。 結局、底引網漁船80隻がすべて日本水域で以前のように操業できるようになった。 漁業人特別支援法に基づき十分な補償も行われた。 もちろん日本に他の分野の割当をもっと譲歩する代わりに得たものだ。果たしてその後、底引網漁は日本水域で黄金の卵を釣ったのだろうか。 99年以後いままで毎年、漁獲実績は記録的な「0トン」行進を続けている。 わずか28トンを漁獲した2000年を除いて…。 外交的屈辱にまで耐えたことを考えると、あまりにもみずぼらしい結果だ。


韓日漁業協定が手投げ弾なら米国産牛肉は核爆弾だ。 青瓦台(チョンワデ、大統領府)秘書陣が交代し、長官ら、農林部交渉団も首を出して処分を待っている。 大統領は「骨身を削る痛みが伴ってもただ国民を恐れるという気持ちで自己刷新をする」と言って膝を屈した。 その間、ろうそく集会は多くのものを変えた。 しかし憤怒が行き過ぎると10年前の底引網漁のようにとんでもない結果をもたらすこともある。 「‘目には目を’という過去の法によると、われわれはみんな盲目になってしまう」。マーティン・ルーサー・キング牧師は、憤怒だけで世の中を変えることはできないと語った。



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