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原爆の廃虚で育った日本の少年…磯崎新氏、「建築界のノーベル賞」受賞(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

磯崎新氏の建築は東洋と西洋文化に対する深い理解が溶け合っているとの評価を受けている。写真は、なら100年会館(Nara Centennial Hall)(1998)。(写真提供=The Pritzker Prize)

◆「変化が私の一貫性」

過去50年余りで磯崎氏が参加した設計プロジェクトは100件を超える。しかし特に「磯崎スタイル」という範疇で収めることができないのも磯崎建築の特徴だ。磯崎氏は「環境と状況に適応して解決策を模索する過程で私は変化し続けるほかなかった。一貫しているのは変化だけだ。逆説的にこの変化が私だけのスタイルになった」と話したことがある。

審査委員団は「磯崎氏は建築に進取的にアプローチし、それぞれの環境に水が流れるように適応した」とし「彼の建築には環境、社会的な要求に対する繊細な配慮が際立っている」と評価した。


磯崎氏の作品の中で、ロサンゼルス現代美術館(MOCA,1986)は彼が海外で手がけた最初のものとして有名だ。赤いインド砂岩を使い、建築の中に黄金比率と陰陽理論を融合させたと評価されている建物だ。

岐阜県セラミックパークMINO(2002)も彼の代表作の一つだ。地元で採掘された石で作られたレンガと、陶磁器で作られた野外テラスと展望台が周囲の自然とよく溶け合っている。

1992年バルセロナ・オリンピック(五輪)主競技場であるパラウ・サン・ジョルディ(1990)も重要な作品に挙げられる。収容人数規模は1万7000人余りになるが、輪郭を最小化させて周辺の環境を美しく見せているという評価を受けている。

80代という年齢にも磯崎氏の情熱は冷めることを知らない。カタール国立コンベンションセンター(2011)を公開後、2014年にはイタリア・ミラノにシティライフ・アリアンツ・タワー、中国上海交響楽団コンサートホールなどパワフルでエレガントな建築物を手がけている。

◆「建築家の中の建築家」

しかしハイアット財団は磯崎氏の建築物だけに点数をつけたのではない。世界のさまざまな建築家がその潜在力を実現できる機会を持てるように支援してきた磯崎氏の取り組みにも深い敬意を表した。福岡ハウジングプロジェクト「ネクサスワールド」、地方の集落を芸術村に変貌させた「くまもとアートポリス」などを推進して海外の建築家とのコラボレーションにも積極的だと説明した。

ソウル大学建築学科のチョン・ボンヒ教授は「最近プリツカー賞は世界に影響力のある巨匠建築家にあたえる一生功労賞的な性格が強まっている」とし「磯崎氏の受賞は彼の名声からすると非常に遅れたが、日本の建築を世界の建築と結びつけ、公共性を生かした多彩な建築プロジェクトを推進した彼の努力が認められた」と解説した。

建築家のスン・ヒョサン氏(イロジェ代表)は「磯崎氏は日本の建築を国際的に知らせた人物だが『日本的建築家』ではない」とし「私は2002年に磯崎氏の招待でヴェネツィア・ビエンナーレに参加したことがある。磯崎氏は後輩建築家を積極的に支援して、疲れを知らず絶えず発展しようとする姿が模範になる人」と話した。

一方、ハイアット財団は「プリツカー賞の授賞式は5月にフランス・パリで開かれて、磯崎氏の公開講演もあわせて開催する予定」と伝えた。



原爆の廃虚で育った日本の少年…磯崎新氏、「建築界のノーベル賞」受賞(1)


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