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【コラム】日本はどのようにしてプリツカー賞の常連になったか(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
そこにはまさに「失われた20年」があった。バブル経済が消えて低迷したこの期間に日本社会は建築で贅肉を削ぎ落とし、建築家は爪を研いだ。ミケランジェロの言う「浄化された余剰」だ。豊かだった80年代ではなく窮乏した時期にむしろ価値の高い作品が建てられ、今の日本建築全盛期を謳歌することになったのはアイロニーというべきか。

いやいや、とんでもない。芸術性の根源であるアバンギャルディズムはもともと貧困を糧とする方法で、物質的豊かさはかえって刃をなまらせる。ナチスから逃れて米国に渡った近代建築のアバンギャルド精神が終局には資本主義の効率性と斬新性を宣伝する機械美学として制度化された場合が代表的な事例だ。

もうひとつ、この期間に日本の建築家は積極的に社会参加をしてきた。プリツカー賞は作品の優秀性はもちろん、人類に対する貢献を選定の基準とすると標ぼうしている。実際、最近この傾向はますます顕著になっている。坂茂(2014、日本)は1994年ルワンダ内戦難民のために紙による仮設住宅を作った後、世界の災難現場を回りながら紙建築を提供した建築家だ。


アレハンドロ・アラベナ(2016、チリ)の代表作であるイキケの貧民住宅は、足りない政府支援金で半分だけ作り、残りは住民たちが自助的(self-help)方式で作っている。バルクリシュナ・ドーシ(2018、インド)もまた都市貧民住宅で模範を示した建築家だ。独創的な構造美で有名な伊東豊雄(2013,、日本)も、実際に受賞理由になったのは東日本地震当時に流れついた丸太を利用して作った被災者のための素朴なコミュニティセンターだった。

時代と社会の水準がそのまま建築に反映されるのは建築が注文生産であるためだ。「世界最高層の建物を施工した韓国がなぜプリツカー賞を受賞できないのか」という愚問には「いまだにそのようなものを素晴らしい建築だと考えているから」が賢答だ。建築主が依然として高く大きくうるさいものを良しとし、建築を不動産であり誇示用品として取り扱う社会なら、「建設」はまだしも「建築」にはまだ到着していないといえる。

ハム・インソン/建築家・漢陽(ハニャン)大学建築学部特任教授



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