7月13日、韓国プロ野球起亜(キア)タイガースの李ボム浩(イ・ボムホ)が引退試合を行った。李ボム浩はプロ野球歴代13番目に個人通算2000試合出場を達成した。2000年にハンファでデビューした李ボム浩はこの日元所属チームとの対決を引退の舞台として飾った。現所属球団の起亜の配慮だった。球界でリーダーシップを認められる彼は「球団と相談し海外指導者研修を準備中」と引退後の計画を紹介した。
李ボム浩は球界の先輩を通じても進路を模索している。2006年のWBC大会で李ボム浩と国家代表チームを組んだ朴賛浩(パク・チャンホ)が「米国派の兄」らしく李ボム浩が大リーグ球団で研修できないか調べている。朴賛浩は2年前にNCの打撃コーチの李昊俊(イ・ホジュン)を日本の読売での研修に直接送り込んでいる。大リーグのサンディエゴ・パドレスには現在同チームのマイナーチームでコーチを務める洪性フン(ホン・ソンフン)をつないだ。
現役時代に覇気あふれるハッスルプレーで人気だった洪性フンは2017年に米国に渡り、昨年からマイナーリーグチームの正式コーチになった。「家族と離れていること以外はすべてが完璧だ。私が望んだ環境だ」と話す洪性フンは、特有の積極的な性格で同僚から人気を得ている。彼は帰国を念頭に置いた「研修」という観点よりは「学習」という目的に忠実で、後に米国野球フルタイム指導者として活躍するというしっかりとした挑戦に乗り出している。このほかロッテ・ジャイアンツ監督を務めた趙原佑(チョ・ウォンウ)も今年LAドジャースのマイナーチームで研修しており、「国民的右翼手」と呼ばれた元KTの李晋暎(イ・ジンヨンは)日本のプロ野球楽天でコーチ研修を受けている。
◇洪性フンら海外研修中…李ボム浩も準備
現在韓国野球委員会(KBO)広報大使として活躍している「国民的打者」李承ヨプ(イ・スンヨプ)もやはり静かに海外研修を準備中だ。李承ヨプは最近韓国プロ野球2軍リーグのフューチャーズリーグチームを訪問し自身の経験を後輩に積極的に伝えている。「国宝」宣銅烈(ソン・ドンヨル)元国家代表監督も最近ニューヨーク・ヤンキーズでの研修計画を公開した。
1982年の韓国プロ野球発足後、韓国人指導者のまともな海外研修は当時OBベアーズ のコーチだった李広煥(イ・グァンファン)KBO育成委員長が初めてといえる。彼は1985年シーズン後に球団と協議して、日本の西武ライオンズ、米国のセントルイス・カージナルスと続けて2年間にわたり指導者研修を経験した。彼は当時をこのように回顧する。「プロ野球草創期は、内容は変わらず表面だけプロと呼ばれた、名前が変わったアマチュア野球だった。私たちはトーナメント大会になじんでおり、陸上で言えば100メートル走のような野球をした。日本や米国のシーズンを経験して初めて短距離走ではなくマラソン、ペナントレースの概念を理解し、そうした運営方式が韓国プロ野球に必要だという認識を持つことができた。特に打撃や守備など本で学べた技術的分野に比べ投手陣を運用するノウハウは現場でシーズンを経験しなくては学べなかった。知識だけ得るのではなく、感情と文化を理解することが核心価値だった」。
彼は当時、日本では12チーム、米国では26チームの投手陣運用を毎日記録した。所属チームの試合が終わった後2時間がかかった。そうして1年間記録した内容を整理してみるとプロ球団が1シーズンに投手陣をどのように運営するのかという概念ができた。彼が韓国に戻って主唱した投手分業化と先発、中間、セットアップ、抑えなど各自の役割を星型のグラフで表現した「スターシステム」の導入がその結果だ。
日米まねていた韓国野球、いまでは「コリアンスタイル」の芽が育つ(2)
李ボム浩は球界の先輩を通じても進路を模索している。2006年のWBC大会で李ボム浩と国家代表チームを組んだ朴賛浩(パク・チャンホ)が「米国派の兄」らしく李ボム浩が大リーグ球団で研修できないか調べている。朴賛浩は2年前にNCの打撃コーチの李昊俊(イ・ホジュン)を日本の読売での研修に直接送り込んでいる。大リーグのサンディエゴ・パドレスには現在同チームのマイナーチームでコーチを務める洪性フン(ホン・ソンフン)をつないだ。
現役時代に覇気あふれるハッスルプレーで人気だった洪性フンは2017年に米国に渡り、昨年からマイナーリーグチームの正式コーチになった。「家族と離れていること以外はすべてが完璧だ。私が望んだ環境だ」と話す洪性フンは、特有の積極的な性格で同僚から人気を得ている。彼は帰国を念頭に置いた「研修」という観点よりは「学習」という目的に忠実で、後に米国野球フルタイム指導者として活躍するというしっかりとした挑戦に乗り出している。このほかロッテ・ジャイアンツ監督を務めた趙原佑(チョ・ウォンウ)も今年LAドジャースのマイナーチームで研修しており、「国民的右翼手」と呼ばれた元KTの李晋暎(イ・ジンヨンは)日本のプロ野球楽天でコーチ研修を受けている。
◇洪性フンら海外研修中…李ボム浩も準備
現在韓国野球委員会(KBO)広報大使として活躍している「国民的打者」李承ヨプ(イ・スンヨプ)もやはり静かに海外研修を準備中だ。李承ヨプは最近韓国プロ野球2軍リーグのフューチャーズリーグチームを訪問し自身の経験を後輩に積極的に伝えている。「国宝」宣銅烈(ソン・ドンヨル)元国家代表監督も最近ニューヨーク・ヤンキーズでの研修計画を公開した。
1982年の韓国プロ野球発足後、韓国人指導者のまともな海外研修は当時OBベアーズ のコーチだった李広煥(イ・グァンファン)KBO育成委員長が初めてといえる。彼は1985年シーズン後に球団と協議して、日本の西武ライオンズ、米国のセントルイス・カージナルスと続けて2年間にわたり指導者研修を経験した。彼は当時をこのように回顧する。「プロ野球草創期は、内容は変わらず表面だけプロと呼ばれた、名前が変わったアマチュア野球だった。私たちはトーナメント大会になじんでおり、陸上で言えば100メートル走のような野球をした。日本や米国のシーズンを経験して初めて短距離走ではなくマラソン、ペナントレースの概念を理解し、そうした運営方式が韓国プロ野球に必要だという認識を持つことができた。特に打撃や守備など本で学べた技術的分野に比べ投手陣を運用するノウハウは現場でシーズンを経験しなくては学べなかった。知識だけ得るのではなく、感情と文化を理解することが核心価値だった」。
彼は当時、日本では12チーム、米国では26チームの投手陣運用を毎日記録した。所属チームの試合が終わった後2時間がかかった。そうして1年間記録した内容を整理してみるとプロ球団が1シーズンに投手陣をどのように運営するのかという概念ができた。彼が韓国に戻って主唱した投手分業化と先発、中間、セットアップ、抑えなど各自の役割を星型のグラフで表現した「スターシステム」の導入がその結果だ。
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