グリーンスパン元米連邦準備制度理事会(FRB)議長。[中央フォト]
FRBとAP通信など外信によると、パーキンソン病の合併症で闘病してきたグリーンスパン氏はこの日自宅で息を引き取った。グリーンスパン氏は1987年から2006年まで18年半にわたりFRB議長を務めた。FRB史上2番目に長く在職した。レーガン、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(子)の4人の大統領の下でFRB議長を務め、世界経済の指揮者という意味の「経済マエストロ」と評価された。ワシントン・ポストは「世界で最も強力だった世界の中央銀行総裁」と表現した。
グリーンスパン氏の妻でNBC記者であるアンドレア・ミッチェル氏は「彼は数十年にわたり米国経済を形成するのに寄与した大物だったが、常に自分の過ちを素直に認めた」としながら夫を哀悼した。
グリーンスパン氏は賛辞と批判を同時に受けた。何より1991年3月から2000年2月まで米国の10年にわたる長期好況を導いたという評価を受ける。高成長、低物価、低失業の神話を作った。危機のたびに0.25%ずつ慎重に金利を動かす調整でも有名だ。彼が出した処方により、1987年の就任から2カ月で迎えた株価暴落(ブラック・マンデー)を克服し、米国経済は1991年の湾岸戦争、アジア金融危機、2000年代のドットコムバブル崩壊を無事に乗り越えた。
彼は「非理性的過熱」など曖昧ながらも独特の修辞を動員した「グリーンスパン式話法」を通じてリスク管理に努力した。その上で在任期間に「米国経済の操舵手」「通貨政策の神の手」「世界経済大統領」など多くのニックネームを得た。市場の流れを正確に読み今後を見通す政策を提示したことでも名声を積んだ。
だが10年以上の超低金利政策により不動産市場など資産市場にバブルを育て、2008年の世界金融危機を引き起こしたという批判も少なくなかった。
1926年3月6日にニューヨークで生まれたグリーンスパン氏は若い時代には音楽家を夢見てジュリアード音楽院に通い、サクソフォンとクラリネットを演奏した。しかしまもなく進路を変えてニューヨーク大学で経済学を学び、コロンビア大学で博士号を取得した。その後1974~1977年のフォード政権ではホワイトハウス経済諮問委員会(CEA)議長を務め、2006年のFRB議長退任後には経済諮問と著述、講演活動を続けてきた。
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