【コラム】市民討論・論争のない韓国の民主主義は危険だ
政治は判断基準が不確かな状況で、与えられた時間内に適当だと認められる意志決定を達成することだ。複雑な利害関係と相反する主張、予測不可能な事件で彩られた「灰色の政治世界」で討論と熟考は幾多の困難を乗り越えながら進められる。
この過程で参加者は自分の力を発揮してある程度妥当だと感じられる共同の解決策を模索しなければならない。拡張された思惟能力、状況判断力、バランス感覚、結果に対する熟考など客観的かつ総合的な思考能力が政治の成否を分ける。
◆「民主主義祭り」開く北欧国家
スウェーデンから始まってデンマーク・フィンランド・ノルウェー・アイスランドなど北欧およびバルト海沿岸8カ国が1カ月にわたってそれぞれ開催する「民主主義祭り」では、政治家と市民・青少年が一緒に集まって民主主義が何かを議論する。ほぼすべての政治的懸案を扱うフォーラムで各部署の長官たちが聴衆と質疑応答を重ね、祭り期間中に毎晩開かれる政党別演説行事では政党代表が市民と直接討論する。
「民主主義祭り」は長年の試行錯誤と経験の蓄積を経て形成された民主的「談論エコシステム」を保全するための努力の一環だ。討論と論争の場である談論エコシステムは公的な信頼と同じく形成までに困難な道程を経るが、一度でも関心から遠ざかれば簡単に崩れる可能性がある。
談論エコシステムの構成要素と形成過程をよく理解してこそ、持続可能な民主主義の条件である市民教育の重要性を認識することができる。政治の世界は基本的に談論の世界だ。自由と平等に対する熱望と必要を我々が現実化するためには積極的に互いに疎通しなければならない。我々が日常用語を政治概念に転換し、その概念が討論と論争の中心で長期間関心を引けば政治的な理想に進化する。その理想と価値が制度化されることによって法と原則が樹立される。このような政治経験の中で発生して進化する政治言語の要素が体系化された形態が政治理念だ。
自由・平等・正義などは政治談論を構成する概念であり理想であり、法と原則の形態に発展した代表的な例だ。談論エコシステムで価値と理想の生命力を維持するためには熱望と必要から始まった政治言語の意味が色あせないように持続し、討論と論争を継続しなければならない。
韓国の政治の現実はどうか。山積した課題を遂行しなければならない政治社会で行き来する公的な言葉が国民信頼を得ることができないことはもちろん、政治談論エコシステム自体を破壊する状況に至っている。複合的危機と挑戦に対応するために改革が切実だという社会的認識は広がっているものの、実際に改革の方向に対する真剣な討論はない。理念と哲学の貧困とそれに対する無関心、権力政治と「生存主義」に埋没した政治ゲームの蔓延こそ、最も根本的な危機の兆候だ。
◆政治ゲームの蔓延は民主主義危機の兆し
韓国社会では自由・平等・正義・公正などの核心価値に対する公的議論が続いていかない。談論エコシステムを討論の競演場くらいに考えて大したことではないと考える権力政治家によって、このような価値は一時的なスローガンとして消費され、ひっそりと消えていく。国家アイデンティティと関連した自由主義・民主主義・共和主義・民族主義などの政治理念に対する論争も関心を引くことができない。韓国の政治談論を支配する保守と進歩という用語さえ果たして厳密な意味の概念や理念であるかどうかも疑問だ。保守対進歩という区分も民主的核心価値としてのコンテントがないまま特定政治状況で戦略的必要のために便宜的に使われてきた。
スローガンの競争ではなく、政治的理想と理念を巡る論争が必要だ。盲目的信念に埋没した教祖的葛藤は問題だが、理想と理念がなぜ重要なのか、その意味が何かを突き詰めていく論争こそ健全な民主政治の基礎だ。
例えば不公正事例がメディアにしばらく登場し、それに対して即興的に不満を吐露する状況が繰り返されていては意味ある正義談論を形成していくことはできない。間けつ的に噴出する「広場の政治」だけでは正義談論の生命力を維持していくのは難しい。市民社会の中に正義に対する「共通の感覚」が持続して生き生きと動いてこそ相異なる政策提案間の妥協と折衝が可能だ。そうでなければ世論調査と多数決によって正義問題が中途半端に決定される状況が発生して、それはそれでまた他の混乱の種になる。
【コラム】市民討論・論争のない韓国の民主主義は危険だ(2)
この記事を読んで…