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【時視各角】安重根に墨を塗る人たち=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
安重根(アン・ジュングン)義士(1879-1910)は幼いころ「電口」と呼ばれた。正しいことをよく言うので友人がこのように付けたという。性格がせっかちであるため親は「重根」と付けた。少し落ち着けという意味だ。友人と酒が好きな重根は1905年12月、禁酒を誓った。「大韓民国が独立する日まで酒の席を持たない」と言った。

自叙伝『安應七(アン・ウンチル、安重根)歴史』に出てくる内容だ。『安應七歴史』で最も興味深かったのは日本の捕虜を解放する場面だ。独立軍の参謀中将だった安重根は1908年6月、咸鏡北道(ハムギョンブクド)で捕虜とした日本の軍人・商人を解放した。日本人が「伊藤博文の企みで尊い命を殺戮する状況になった」と号泣すると、安義士は「同族と隣国の間に理由のない戦争を起こした人たちを追って消せ」とし、銃砲までも与えた。

独立軍の将校は不満を爆発させた。「苦労して捕まえた敵を解放すれば我々の目的はいったい何か」。返答が傑作だ。「我々も野蛮な行動をすることを望むのか。『弱いもので強いものを除去し、仁で悪に対敵する』という意味であり、どうか不平を言わないでほしい」。2年後に旅順監獄で執筆した『東洋平和論』の意志だ。

土曜日(26日)は安義士逝去112周忌だった。うれしい知らせもあった。安義士が処刑直前まで胸に抱いていた家族のアルバムを保存処理するというものだった。金亜麗(キム・アリョ)夫人と芬道(ブンド)・俊生(ジュンセン)の2人の息子の姿が入った色あせた写真で、通訳の園木末喜が絹に写真を貼って安義士に渡したのだ。安義士の死後に日本に渡った写真は2020年初め、日本の所蔵者が安重根義士崇慕会に寄贈した。

『安應七歴史』 『東洋平和論』の出版を指揮したソウル大のアン・ジェウォン教授は「安重根は生きている」と断言する。特に「仁で悪に対敵しろ」という安義士の「命令」に注目する。それぞれ国民を前に出しながら相手を嫌悪する陣営論理、いわゆる排除主義的な正義感が広がる韓国社会で、安義士はずっと引用されるしかないという理由でだ。

しかし政界に引用される安重根は「ゆがんだ英雄」のように墜落した姿だ。今回の大統領選挙期間は特にそうだった。各候補は相手を蔑視する手段として安義士に言及した。与野党候補・側近の間で「李完用(イ・ワンヨン)が安重根を売国奴というはず」という言葉が行き交った。李在明(イ・ジェミョン)候補、チョ・グク元法務長官を安重根に例えるケースもあった。「安義士の偉大な遺志を尊重する」として候補一本化決裂を宣言した安哲秀(アン・チョルス)候補はしばらくしてから自分の言葉を覆した。尹錫悦(ユン・ソクヨル)次期大統領は予備候補当時、安義士の遺影に酒を置いて「尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の深い意を込めて」という説明をつけたSNS写真で物議をかもした。

26日に行われた安義士112周忌追悼式にユーチューブで参加した。行事の最後の司会者の言葉に100%共感する。「政治的な目的で安義士の名前をむやみに呼んではいけない。安義士の崇高な為国献身精神に墨を塗らないでほしい」と訴えた。この日の追悼式の舞台の両側には文在寅(ムン・ジェイン)大統領と尹錫悦(ユン・ソクヨル)次期大統領の弔花が置かれていた。安義士は喜んでいるだろうか。大統領選挙後にも分裂と衝突を繰り返す、いやむしろ深まる新旧権力の対立が見苦しい。「大丈夫・安義士」は消えて「拙丈夫」ばかりが広がる状況だ。

安義士が1908年3月にウラジオストクの海朝新聞に寄稿した、いわゆる「人心結合論」を引用したい。「わが国が今日が状況にいたったのは不合病(不和)のためだ。不合病の根源は驕傲病(傲慢)だ。傲慢は万悪の根本となる。傲慢を正すのは謙遜だ。自身を低めて人を敬うべきだ」。今日、大統領選挙から19日目に会う文在寅大統領と尹次期大統領は果たして「協治」のきっかけをつかめるのだろうか。

パク・ジョンホ/首席論説委員

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