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80年前の祖父のように…金九の孫が対日宣戦布告声明書を読み上げる=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

白凡(ペクボム)金九(キム・グ)先生の孫であるキム・ジン光復会代議員。キム・ソンニョン記者

「倭寇を韓国・中国および西太平洋から完全に追放するために血戦で最後の勝利を成し遂げる」

白凡(ペクボム)金九(キム・グ)先生の孫である光復会のキム・ジン代議員(72)が80年前の祖父の肉声を再現するように今月10日、このような内容の「対日宣戦布告声明書」を読み上げる。この日午前、ソウル龍山(ヨンサン)白凡記念館コンベンションホールで開かれる大韓民国臨時政府対日宣戦布告80周年記念式(韓国光復軍記念事業会主催、国家報勲処後援)を迎えながらだ。金九先生の家族が声明書を朗読するのは今回が初めてだ。

1941年12月7日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が起きると当時の臨時政府はその3日後の12月10日に連合軍の一員として参戦するとして対日宣戦布告を明らかにした。


当時の臨時政府の金九主席と趙素昻(チョ・ソアン)外務部長の名義で発表された対日宣戦布告声明書には「我々は3000万の韓国人および政府を代表して中国・英国・米国・オランダ・カナダ・オーストラリアおよびその他のさまざまな国の対日宣戦布告を慎んでお祝いする」とし「これは日本を撃破して東アジアを再創造する最も有効な手段」という宣言が入っている。

1940年9月に創設された光復軍はこのような対日宣戦布告の土台だった。その後、光復軍の隊員は中国内で工作活動を行う一方、英国軍を助けてビルマ戦線における最大の激戦「インパールの戦い(インパール作戦)」にも参戦した。また、米陸軍戦略情報局(OSS・Office of Strategic Service)の訓練を受けて国内進攻作戦まで準備した。

光復軍の歴史において、対日宣戦布告がそれだけ重要な分岐点だったことになる。これは対日宣戦布告記念式を光復会ではなく韓国光復軍記念事業会(光復軍がつくる光復軍同志会の後身)が主管する理由でもある。

光復軍記念事業会のイ・ヒョンジン会長は「80年前、対日宣戦布告で臨時政府の国軍である光復軍が連合軍の一員として参戦した」とし「大韓民国の地位を世界に知らせた歴史的な日の意味を再確認するために白凡先生の孫が声明書を朗読する席を用意した」と明らかにした。

この日の行事では国防部の軍楽隊と重唱団が光復軍第1・2・3支隊歌や鴨緑江(アムノッカン)行進曲などを演奏する。また、元老史学者であるキム・ヒゴン氏〔元安東(アンドン)大学教授〕が「対日宣戦布告の背景」を主題に講演も行う予定だ。



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