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「うちの嫁(金賢姫)はソウルで暮らしている」--。
大韓航空機爆破事件(1987年)を実行した北朝鮮の元工作員、金賢姫(キム・ヒョンヒ、46)氏が5年間潜伏中とされていたが、ソウルに住んでいることが分かった。
金氏が姿をくらましている間に、米国亡命説、日本逃亡説、国家情報院(国情院)の安家(安全家屋=大統領府や情報機関が秘密保持のために使う家屋)に保護されているという説--など行方と住居地をめぐり、絶えず推測が出ていた。
このような事実は、金賢姫氏の姑キム・ヨンロクさん(80)が、日刊スポーツ(ISplus)との単独インタビューで明らかにしたもの。
日本のあるマスコミは、金賢姫氏が潜伏した理由について「韓国に、いわゆる北朝鮮寄り政府がスタートして以降の10年間、北朝鮮に強制送還されることを恐れて潜伏した」と報じたことがある。事実かどうかはさて置き、今年2月、右翼政権の李明博(イ・ミョンバク)政府が発足した後、金賢姫氏が大衆の前に再び現れるか関心が集まる中、姑が口を開いたものだ。
姑キムさんは、これまでの嫁をめぐるうわさを払拭しようと決意したかのようでもあった。キムさんは「嫁はどこにいるか」という質問に、ひと息おいてから「(息子の)嫁(金賢姫)は息子、孫と一緒にソウルで暮らしている」とし、一部から出ている米国亡命説と海外逃亡説を一蹴した。
姑キムさんは「警察の監視が激しく、家に来てもらっても家で会うことはできない」と説明した。「すぐ警察が来て『金賢姫の所在地』を聞いてくるからもうノイローゼ(神経症)になりそうだ」とし、うんざりした口調だった。キムさんは、通信傍受・監視についてもこう述べた。「監視と通信傍受を恐れて、賢姫さんのソウルの自宅には電話もない。携帯電話も息子しか持っていない」とし「(息子の)嫁が政治的口舌に巻き込まれ、家族間で通話もきちんとできないまま暮らしている」と嘆いた。
キムさんは、息子の結婚についても明らかにした。キム氏の息子チョン氏は、国家安全企画部(安企部、国家情報院の前身)に勤めていた97年12月に金賢姫氏と結婚し、2人の子どもをもうけた。キムさんは「息子が嫁を連れてきたとき、大韓航空機の爆破犯であることを知っていた。しかし、息子が好きだというから、私は少しも反対しなかった」と話した。
キムさんは嫁の心境も伝えた。「嫁は大韓航空機爆破事件のために今でも苦しんでいる。遺族に非常に申し訳ない気持ちでいる。数年前に日本で本がたくさん売れたときも、遺族の要請で10億ウォン(約1億円)を渡したと聞いている。2人が互いに好きで結婚したが、結婚生活は依然として大韓航空機爆破事件に縛られている」と声をうるませた。
金賢姫氏は「過去の金賢姫」を完全に忘れるために努めているという。姑キムさんは「賢姫は息子の戸籍に入っている。2人とも改名して暮らしているものの、現在、元気に育っている孫たちが後で金賢姫の過去を知るのを恐れて気をもんでいる」と切ない口調で語った。
また「族譜に金賢姫を『小説家』と記載している。嫁は日本語と中国語がうまい。日本語で出版した小説がよく売れ、そのお金で慶州(キョンジュ、慶尚北道)に日本食の店をオープンしたこともある。私も日本語ができるが(2歳から17歳まで日本で成長)、本を読んでみると非常によく書けている。しかし、監視されていることもあり、小説家としてもまともに活動することができず、不憫でならない」と話している。
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