「YTNは、12月4日に『PD手帳の制作チームが、強圧するような雰囲気の中でキム研究員を懐柔、脅迫し偽りの証言を得た』というインタビュー内容を報じた。放送後に研究チームのメンバーらが集まったとき、李柄千教授が『ろそろ仕事をしよう』とした。黄前教授の考えは違った。黄教授は『ストレスのため体重が4キロ以上も減った』と話した。『占い師から、いま動けば悪運があるから4、5日ほど休むのがいいと言われた』としたので、わたしが主治医を務めることになった」。(安教授の証言)。
しかし、状況は再び反転した。サイエンス誌に掲載された論文の写真とDNA指紋の分析資料がねつ造されたもの、という疑惑が相次いで浮上した。安教授は12月13日に黄前教授の主治医をやめた。
その理由について、安教授は「研究員が自身に報告しないまま密かに卵子を提供した、という説明とは異なり、黄教授が直接研究員を病院に連れて行ったという事実を確認したからだ」とし「あまりにも驚いて、医師として診療を続けることができなかった」と説明。12月14日夜。ES細胞ハブの所長室。黄前教授は、研究チームが集まったなか、安教授に「驚くべき提案」をし、それが決別の決め手となった。
安教授の証言。
「黄教授は『ひとりでは死なない。李柄千・姜成根(カン・ソングン)教授らと玉砕(ぎょくさい=名誉・忠節を守って潔く死ぬこと)する考えだ。安教授も共にしたいならば、そうするように』と語った。わたしは『これ以上耐えられない。ありのままを人々に知らせなければならない』と話した後、所長室を出た。黄教授の姿から、ものすごい冷酷さを感じた。ぞっとして、宗教集団の教祖のように思えた。その日、あまりにも震えて睡眠薬を飲んだ後、やっと寝ることができた」。
続いて、黄前教授弁護人による反対尋問が行なわれた。黄前教授が、キム・ソンジョン研究員が行なった「細胞のすり替え」に気付いていなかった可能性が大きい、との点を強調した。
-当時、霊長類の実験と米食品医薬品局(FDA)の臨床実験を進め、直接FDAを訪問して実務協議を行い、ES細胞を国内外の機関に分譲したことに間違いないか。
「はい」。
-万が一、黄前教授がES細胞作製に確信がなかったとすれば、そうしたことを進めなかったのでは。
「そう思っている」。
安教授はしかし、ES細胞に対する質問が繰り返されると「わたしはES細胞の専門家ではないという事実に留意するように」と要請した。弁護人は「証人が、自身を被害者に誤解しうることから、当時の事実関係をきちんと説明しているのだ」とした。
弁護人側が、黄前教授が12月14日に提案したことについて「中核技術への強い確信を示し、賛同を要請したのだが、証人が誤って受け入れた」と提起すると、安教授は「わたしはそのよう受け入れた」とし、共同研究者への配慮が足りなかった点を指摘した。
裁判が終わった後、安教授は静かに証人席を離れた。黄前教授と安教授は一度もお互いに視線を合わせることなく、5時間以上にわたる裁判を終えた。記者は、支持者とあいさつの言葉を交わす黄前教授に、現在の心境を尋ねてみた。黄氏は「すべてがわたしの運命だから仕方がない。後日、またお話を」と語った後、複雑な表情で裁判所を離れた。
06年5月に検察の起訴により開始された裁判は、今回で22回目。まだ検察側の証人尋問が終わっておらず、弁護人側の証人がおよそ40人も待機中だ。年内に終了できないことが確実視される。黄前教授が話す「後日」はあまりにも遠くに感じられる状況だ。
しかし、状況は再び反転した。サイエンス誌に掲載された論文の写真とDNA指紋の分析資料がねつ造されたもの、という疑惑が相次いで浮上した。安教授は12月13日に黄前教授の主治医をやめた。
その理由について、安教授は「研究員が自身に報告しないまま密かに卵子を提供した、という説明とは異なり、黄教授が直接研究員を病院に連れて行ったという事実を確認したからだ」とし「あまりにも驚いて、医師として診療を続けることができなかった」と説明。12月14日夜。ES細胞ハブの所長室。黄前教授は、研究チームが集まったなか、安教授に「驚くべき提案」をし、それが決別の決め手となった。
安教授の証言。
「黄教授は『ひとりでは死なない。李柄千・姜成根(カン・ソングン)教授らと玉砕(ぎょくさい=名誉・忠節を守って潔く死ぬこと)する考えだ。安教授も共にしたいならば、そうするように』と語った。わたしは『これ以上耐えられない。ありのままを人々に知らせなければならない』と話した後、所長室を出た。黄教授の姿から、ものすごい冷酷さを感じた。ぞっとして、宗教集団の教祖のように思えた。その日、あまりにも震えて睡眠薬を飲んだ後、やっと寝ることができた」。
続いて、黄前教授弁護人による反対尋問が行なわれた。黄前教授が、キム・ソンジョン研究員が行なった「細胞のすり替え」に気付いていなかった可能性が大きい、との点を強調した。
-当時、霊長類の実験と米食品医薬品局(FDA)の臨床実験を進め、直接FDAを訪問して実務協議を行い、ES細胞を国内外の機関に分譲したことに間違いないか。
「はい」。
-万が一、黄前教授がES細胞作製に確信がなかったとすれば、そうしたことを進めなかったのでは。
「そう思っている」。
安教授はしかし、ES細胞に対する質問が繰り返されると「わたしはES細胞の専門家ではないという事実に留意するように」と要請した。弁護人は「証人が、自身を被害者に誤解しうることから、当時の事実関係をきちんと説明しているのだ」とした。
弁護人側が、黄前教授が12月14日に提案したことについて「中核技術への強い確信を示し、賛同を要請したのだが、証人が誤って受け入れた」と提起すると、安教授は「わたしはそのよう受け入れた」とし、共同研究者への配慮が足りなかった点を指摘した。
裁判が終わった後、安教授は静かに証人席を離れた。黄前教授と安教授は一度もお互いに視線を合わせることなく、5時間以上にわたる裁判を終えた。記者は、支持者とあいさつの言葉を交わす黄前教授に、現在の心境を尋ねてみた。黄氏は「すべてがわたしの運命だから仕方がない。後日、またお話を」と語った後、複雑な表情で裁判所を離れた。
06年5月に検察の起訴により開始された裁判は、今回で22回目。まだ検察側の証人尋問が終わっておらず、弁護人側の証人がおよそ40人も待機中だ。年内に終了できないことが確実視される。黄前教授が話す「後日」はあまりにも遠くに感じられる状況だ。
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