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【噴水台】わいせつ



映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(原題「Nuovo Cinema Paradiso)には鐘を持っている神父が登場する。神父が鐘をつくと映写技師のアルフレードは画面を切り取る。街の人々がわいせつな場面を見れなくする検閲だ。キスや抱擁は許されない。映画にはまった住民は決定的な場面が消える度、惜しむ嘆息と揶揄(やゆ)を送る。この映画のハイライトは、映写室で幼いころを送った主人公トトが映画監督として成功した後、帰ってくるシーンだ。トトは、アルフレードのお葬式に出席するため街を訪れる。涙ぐむトトの目の前に、映画から切り取られ山ほど積まれていたキスシーンが、美しいフィルムとなって回っていく。

米メディアで街の神父の役割は、連邦通信委員会(FCC)が担っている。04年、最高の視聴率を決めたスーパーボウルを祝う公演で、人気歌手のジャネット・ジャクソンが胸を露出し、大騒ぎとなった。FCCに抗議のメールが殺到した。FCCの元々の基準によると、わいせつの場合、視聴者からの抗議メールの件数に基づき課徴金を科すようになっている。その基準をそのまま適用する場合、天文学的な罰金の賦課を避けられなかった。


問題は、ほぼ大半の抗議メールを「子どもとテレビに関する米国調査団」(PTC=Parents Television Council。暴力シーンやきわどい性的描写などが若者視聴者に与える悪影響を心配する団体)のメンバーらがまいた、ということだった。FCCはやむを得ず、大量な投書は統計から排除する、と規定を見直した。再び「解釈によってどうにでもとれる基準」という批判が広がった。

芸術と文化ほど専門家のワナに陥りやすい分野もない。わいせつとは異なる一例。92年4月11日、某テレビの芸能番組に新人グループが登場した。3人の青年が奇異なダンスを踊り、奇妙な歌を歌った。当時実力を認められていた作曲家・作詞家・芸能評論家・歌手からなる審査団。

それらがつけた点数は10点満点に8点を下回った。「リズムは良いが、メロディーが弱い」、「ダンスに偏り、歌が埋められている」…。「ソテジワアイドゥル」のスタートはこのように微弱だった。その日に発表した『ナン・アラヨ(僕は知っている)』をはじめ、それらのラップは韓国歌謡界を揺さぶった。

最高裁が昨日、目につく判決を下した。一つは、カメラ付き携帯でミニスカットを着た女性の脚をこっそり撮影するのは無罪。もう一つは、インターネット上の動画でも性器を露出していなければ無罪、という内容だった。保守的な最高裁の驚くべき変身だ。

元々わいせつ(猥褻)は、勝手に下着姿で歩き回る、という意味だった。時代と場所によって、これほど変化が激しかった概念も少ない。今回の判決の余波で、女性解放の象徴であるミニスカットが街で消えるかもしれない。日本のようにインターネットにモザイクやヘアヌードがあふれても大変なことである。世の中が変わっても「街の神父」は必要なはずなのだが…。



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