植民地時代に女性モデルを起用して作った広告ポスター。 舞踊家チェ・スンヒ氏が胃腸薬の広告モデルで登場している(上)。どっちが本物? 左側が20世紀初めに出てきた韓国最初の化粧品「朴家粉」、右側が模造品の「村家粉」。 ともに朴岩鍾(パク・アムジョン)教授の収集品(下)。 |
朴岩鍾教授が収集に没頭しているのには理由がある。 これまであまり扱われてこなかった韓国デザイン史を確立したいという意欲だ。
「韓国デザインの歴史は不毛地のようなもの。 大学でもデザインの歴史は西洋のものに集中して教育している。 韓国のデザイン史で博士学位論文を書いたが、深く踏み込むほど、われわれのものが確実にあったということを知る」
地下1階から地上2階までの博物館を回った後、これほど多くのものをどうやって収集したのか気になった。
「仁寺洞(インサドン)古美術店はもちろん、インターネット競売サイトであちこちの収集家から買い集めた。 まだよく分かっていなかった初期には、あまり値うちのないものを高く買ったりもした」。
全国を回って買い求めることも多かった。 朴教授が特に大切にしている韓国最初の金星(クムソン)真空管ラジオは、全羅北道金堤(チョンラブクド・キムジェ)の引退した医師の屋根裏部屋から出てきたという。
「こういうものが出てきたという電話を受け、すぐに駆けつけた。 時間と力を投じてこそ貴重なものが手に入る」
苦労して集めた収集品をデザイン学界や一般人にも見てもらいたいという考えから、家も売り払うなど、迂余曲折の末に博物館を開館したという。
「博物館がデザインに関心のある人々の空間のようになればいい。 デザインというのは私たちの生活そのもの。 生活のすべてのものがデザインであり、したがって私たちの過去を知ることが、現在さらには未来を良くすることにつながれば、これ以上の望みはない」。
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