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鍾路ピマッコル“味の横丁”が消える

大韓教保生命ビル東方面に伸びるピマッコル(清進3区域、写真上)。隣接した清進2区域をまとめてここに24階建ての建物を建てる都市環境整備事業が推進されている。道の跡は残ってもピマッコルの趣は消えてしまう。昨年7月に竣工されたル・メイエール鍾路タウン(写真下)。ピマッキルを道の形態で残したが、大理石の底とガラスに変わり、以前の趣は消えた。(写真=キム・サンソン記者)



ピマッコルはソウル鍾路(チョンノ)1~6街にわたって鍾路から18メートル北へ伸びた幅2~3メートル程度の路地を指す言葉だ。朝鮮時代「庶民たちが(高官大爵の乗った)馬を避けるための道」(避馬路)に由来する。道の左右を含む周辺一帯をピマッコルといい、道だけを指してピマッキルという。朝鮮時代、ソウルの東西の軸となる中心道路だった鍾路とともに形成され、600年の風霜に耐えてきた。最近になってピマッコル一帯に大規模再開発事業が始まり、歴史の中に消える危機に処している。

◇消えるピマッコル=先月某不動産開発会社はソウル市に「清進(チョンジン)洞清進区域12~16地区をまとめて統合開発する」と事前諮問を要請した。“清進洞ヘジャンクク(*)路地”とピマッキルが含まれた4107平方メートルの広さに24階建てのツインタワー2棟を作るという内容だった。ここには70年の歴史の清進屋を含む“ヘジャンクク路地”と、同じく70年の歴史をもつ“韓日館”(ハニルグァン)、そしてピマッキルが含まれている。


ソウル市は先月27日、都市建築共同委員会を開き、この事案を審議したが諮問を保留した。匿名を要求したある委員は「歴史深いピマッコルとソウルの名所として位置づいているヘジャンクク路地が消える開発計画なので、委員の大部分が決定をためらった」と伝えた。事前諮問を要請した事業者にソウル市が特別な指摘事項を提示しなければ「関連法規内で開発してもよい」という回答になる。

開発事業が進み、韓日館は5月まで、清進屋は7月まで営業をして移転することにした。35年の歴史のソウルホテルは昨年末閉鎖、現在は“撤去予定”という案内文がかかっている。

ソウル市がピマッキル保存のために2004年12月“建築誘導指針”を作ったが、実効がないという指摘も出る。指針は「ピマッキル一帯を開発する場合、最小4メートル幅でピマッキルを残し、道路の上は採光・換気を可能にせよ」という内容を記している。事実上、物理的形態の道だけ残しておけばよいことだ。昨年7月末、ピマッキルに建てられたル・メイエール鐘路タウンの場合、ソウル市の指針を反映し、ピマッキルを歩道の形態で残した。しかし底は大理石で道の両側がガラスで囲まれ、昔の道の趣は消えた。ソウル市の関係者は「ピマッキル保存指針を作ったのが遅すぎた」とし「それに内容がとても包括的かつ法的根拠が貧弱で、拘束力を発揮しにくい」と話した。

清進洞周辺のピマッコルでも続々と再開発事業が予定されている。大韓教保生命ビル東の清進2、3地区は民間開発業者が2区域をまとめ24階程度の建物を建てると1月に区域変更を申請した状態だ。仁寺洞方面の公平(コンピョン)15、16地区もすでに建築審議を通過して事業施行あるいは申請を残すだけだ。指針が出る前に建てられていたYMCA、三星証券、SC第一銀行の建物はピマッキルの上に建てられ、ピマッキルを切断している。



◇ピマッコル、ヘジャンクック路地の元祖=朝鮮時代には下位職官吏たちもピマッキルをよく利用していた。彼らは馬に乗っていて鐘路で高位職官吏に会うと馬から降りて地面にひれ伏せなければならなかったからだ。庶民たちの歩行空間なので庶民を相手にする居酒屋やクッパ(ぞうすい)の店が多かった。ここの料理が人気を集め、ピマッキルの外の現在の清進洞一帯に“ヘジャンクク路地”が広がった。

ピマッコルには現在も懐事情が厳しい庶民がよく訪れる居酒屋がまだまだ残っている。雨が降る日なら路地の奥のビンデトクのにおいが、酒飲みと文人画家を誘っている。

*ヘジャンクク:酔いを醒ますために飲む汁(スープ)。





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