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「日本人がここを訪れると驚きます」旧西大門刑務所キム・ホンジェさん

キム・ホンジェさんが28日、刑務所の監房前で独立運動家たちについて説明している。(写真=金成竜記者)



「ここは別名『柳寛順(ユ・クァンスン)窟』と呼ばれた地下独房です。3.1運動当時に連行された柳寛順烈士が獄中でも独立万歳を叫びながら激しい拷問に遭い、18歳という若さで亡くなった場所です」--。

28日午前、ソウル西大門区峴底(ソデムング・ヒョンジョ)洞にある西大門刑務所歴史館入口。ボランティア文化財解説者のキム・ホンジェさん(76)が日差しが入らず薄暗い地下の監房を指してこのように説明した。保護ガラスの内側には1992年、西大門独立公園を造成し復元、発掘した地下女性監房部屋をのぞいてみた。ひとりがやっと入って座れるくらいの狭くて冷たい監房の床にはいまだに柳寛順烈士の果たされぬ思いがつまった叫び声が聞こえてくるようだった。


キムさんはここで10年間、日本語解説のボランティアをしている。

日本人の観覧客が訪れると歴史館の隅々を巡って案内するのが役割だ。雪が降っても雨が降っても毎週木曜日になると午前9時ごろに出勤し、歴史館が閉まる午後5~6時まで勤務する。

「妻が、ある日、中央日報で外国語ボランティアスタッフを募集しているという案内を見て“あなたも行ってみたらどう”とすすめられました。ソウル市で歴史・文化研修を受けて配置された場所がここだったんですよ。周りの人は大変だねというけれど観覧客と一緒にゆっくり歩けば健康にも良いし、大きなやりがいも感じます」

西大門刑務所の歴史は今からちょうど100年前の1908年に日帝が抗日義兵を捕えて幽閉するために鍾路(チョンロ)にあった京城監獄を新築して移転したのが始まりだ。義兵長許蔦(ホ・ウィ)、李康ニョン(イ・カンニョン)ら数多くの独立運動家がここで殉国し、3.1運動時には義菴孫秉熙(ウィアム、ソン・ビョンヒ)、万海韓龍雲(マンヘ、ハン・ヨンウン)をはじめとする民族の代表32人のうち、海外にいた1人を除く32人が獄中生活をした。白凡金九(ペクポム、キム・グ)、島山安昌浩(トサン、アン・チャンホ)、夢陽呂運亨(モンヤン、ヨ・ウンヒョン)ら西大門刑務所で苦難を体験した独立運動家はその数を推し量ることができないほどだ。

「日本人の見学者中にはナチス・ドイツのユダヤ人収容所‘アウシュビッツ’と比較する人もいます。そして“このように確実な証拠があるのにどうして歴史を否定することができるのか”と話します。私たちにとっては痛みが満ちた歴史の現場ですが、よく手入れをして保存しなければなりません」

現在、西大門刑務所には柳寛順地下監房とともに獄舎7部屋、死刑場、保安課庁舎、見張り台、塀などが保存されている。保安課の庁舎は追慕の場(1階)、歴史の場(階)、体験の場(地下1階)とテーマごとに分け、展示場として使用している。1998年歴史館がオープンしてから毎年50万人の韓国人と5万5000人の外国人が訪れる。外国人訪問客全体のうち10人中7人(69%)が日本人だ。

「歴史館の案内が終わると“今まで知らなかった歴史を教えてくれてありがとう”とあいさつする人が多いです。日本から送られてきた感謝の手紙も数百通を超えています。日本の植民地時代、小学校に通って日本語を学びました。故郷は水を売る商人がいたことで有名な咸境道北青(ハムギョンド・ポクチョン)です」

3.1記念日には無料開放

来月3.1記念日89周年には西大門刑務所歴史館でも独立運動の意味を再確認するイベントが行われる。この日の訪問客は太極旗(テグッキ、韓国の国旗)を振り、独立万歳を叫んだり、独立宣言書の朗読や独立運動家たちのが幽閉されていた獄舎を体験するなどのイベントに参加できる。普段は青少年は1000ウォン、大人は1500ウォンの入場料が必要だが3.1記念日には無料開放する。

西大門刑務所今年100年

-1908年10月:日帝、京城監獄を現在の場所に新築・移転

-1912年9月:西大門監獄に名称変更

-1920年10月:柳寛順烈士獄中にて殉国

-1923年5月:死刑場(史跡324号)新築、西大門刑務所に名称変更

-1945年11月:ソウル刑務所に名称変更

-1967年7月:ソウル拘置所に名称変更

-1987年11月:ソウル拘置所が京畿道儀旺市(キョンギド・イワンシ)に移転

-1992年8月:西大門独立公園として造成

-1998年11月:西大門刑務所歴史館開館





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