1919年4月2日午前10時ごろ慶尚南道統(キョンサンナムド・トンヨン)の妓生(キセン、韓国の伝統的な芸妓)組合所。妓生の鄭(チョン、当時21歳)さんと李(イ、20)さんは同僚5人を呼び集めた。「全国で万歳運動が行われている。私とともに参加しよう」と誘った。意気投合した妓生たちはその場で『妓生団』を作った。鄭さんと李さんは自分たちの金の指輪を売ったお金で購入した喪章用のピンと草鞋をほかの妓生たちに配った。妓生団は同じ柄の服を着てこの日午後3時30分ごろ、統営郡内の市場に向かった。
妓生団は「朝鮮独立万歳」を叫びながら統営警察署に向かった。彼女らの後には3千人あまりの男女の群衆が続いた。鄭さんと李さんは警察の制止にも関わらず、先頭で群衆を率いてデモを繰り広げた。デモの直後、2人は日本の巡査に捕まり、保安法違反で懲役6カ月の宣告を受けた。
妓生団は「朝鮮独立万歳」を叫びながら統営警察署に向かった。彼女らの後には3千人あまりの男女の群衆が続いた。鄭さんと李さんは警察の制止にも関わらず、先頭で群衆を率いてデモを繰り広げた。デモの直後、2人は日本の巡査に捕まり、保安法違反で懲役6カ月の宣告を受けた。
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