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長く伸びた日本の本州と北海道をつなぐ海底トンネルは‘青函トンネル’と呼ばれる。 本州の北端の青森と北海道の南端の函館の最初の字から付けられた名前だ。 鉄道専用のこのトンネルの距離は53.85キロと、世界で最も長い。
もともと本州と北海道の間の輸送は青函連絡船の役割だった。 しかし1954年9月、急激に発生した強い台風で、洞爺丸など青函連絡船5隻が沈没した。 犠牲者の数はなんと1400人。 戦争を除けば全世界で3番目に大きな海難事故だった。 これをきっかけに安全な交通路の必要性が提起され、61年、青函トンネルの着工に入った。 88年の開通まで何と27年にわたる難工事だった。
この勢いで日本は英国とフランスの間のドーバー海峡をつなぐ海底トンネルの工事にも関与した。 88年に着工し、94年に開通したこの海底トンネルの総距離は50.5キロ。 ロンドンとパリを2時間台でつなぐ。
日本の海底トンネル構想は40年代に遡る。 韓国の釜山(プサン)と日本・九州地方の佐賀県壱岐島をつなぐ構想だ。 当時の植民統治下の釜山を経て丹東-北京-桂林-ハノイ-サイゴン(現ホーチミン)-バンコク-シンガポールの1万キロに達する路線を‘弾丸鉄道(現新幹線)’でつなぐ、いわゆる‘大東亜縦貫鉄道計画’だった。 この構想は第2次世界大戦敗戦によって頓挫した。
15日、日本の国会で、韓国と日本をつなぐ鉄道用海底トンネルの実現に向けて超党派議員連盟の発起人会が開かれた。 元防衛庁長官や野党幹事長ら超豪華メンバーの名前が並んだ。 「技術的に問題はない」というのが彼らの説明だ。 総距離230キロ(海底部分128キロ)の世界最長トンネルが完成すれば、東京-ロンドンが鉄道でつながる。 大陸に向けた島国の日本の長い間の夢が自らの技術で実現するわけだ。 日本は地質調査のために80年代中盤、唐津市で実際に470メートルほどの坑道まで掘っている。
初の‘海底トンネル議員連盟’の話を聞くと、ドーバー海峡が思い浮かぶ。 ドーバー海峡のトンネルは、最初の構想から両国の合意までに182年がかかった。 「われわれは今でも(英仏間の距離が)非常に近いと考えているが、それをもっと近くするために、われわれに参加してほしいというのか」(1858年、ロッド・ファーマーストーン英首相)という反発が絶えなかった。 相手の‘他の意図’を憂慮したのだ。 時代は変わっても重要なのはやはり技術よりも信頼だ。
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