--2004年10月、チリAPEC会談直前、盧大統領は“北朝鮮の核保有主張にも一理ある”と発言し、波紋を起こした。
「その発言のせいであぶら汗をかいた。問題の演説全文がブッシュ大統領に報告され、それを読んだブッシュ大統領は私を呼び出して“どういう意味なのか”と質問してきた。私は“盧大統領の支持基盤を狙った国内政治用の発言”だと言って“韓米実務陣の間では北核は威嚇ということで認識が一致し、協調もうまくいっている”と説明した。論理が通りにくかったが、仕方なかった。幸い、ブッシュ大統領は特別な異議提起はせずに“分かった”と答えた。会談でその発言はあまり問題にならなかった。しかし後にその発言は、盧大統領を攻撃するホワイトハウス、行政部内のタカ派たちに何度も引用された」
--盧大統領が北朝鮮をかばって、米国の対北朝鮮攻撃の可能性に触れるなど、反米的な発言を続けた理由は何だと思うか。
「国内政治用だったと考える。 盧大統領と386世代は執権前は分かっていなかったが、執権後には米国の重要性がどれほど大きいか認識した。 それでイラク派兵など同盟に寄与する政策を採択した。 問題は、こうした政策のため、自らの支持基盤が離脱しないかという心配が大きかったということだ。 それで盧大統領は“派兵によって米国との関係を改善することで、米国の対北朝鮮攻撃を防止している”という論理を展開したようだ。 しかしこれは韓国に対する米国の不信と、韓国内の反米感情を増幅させ、北朝鮮と中国には韓米関係に亀裂が生じているという誤った判断を抱かせた。 気勢が上がった中国の高官は04年にソウルを訪れ、“韓米日の対北朝鮮政策調整監督会議(TICOG)を中断すべき”と要求するまでに至った (実際TICOGは盧政府下で中断された)。それでわれわれは尹永寛(ユン・ヨングァン)、李鍾ソック(イ・ジョンソク)、潘基文(バン・キムン)、徐柱錫(ソ・ジュソク)氏ら韓国政府関係者に会う度に、頼むからそのような論理を展開するなと懇請した。彼らは“われわれは同盟を最優先する。反米発言自体したことはない”という釈明を繰り返した。しかしある大統領府高官だけはわれわれに“(盧大統領の)反米的発言は国内政治基盤を守るためのものなので今後も続くしかない”と明らかにした」
--ブッシュ大統領は盧大統領の反米発言についてどれほど報告を受けていたのか。
「毎回報告を受けていたと考えればよい。ブッシュ大統領は毎朝、国際情勢について詳細な報告を受ける。また米国は韓国に大きな大使館を持っている。このためブッシュ大統領は1カ月に少なくとも2-3回は盧大統領の反米的発言について報告を受けていた。2002年ごろ、ブッシュ大統領は私に“私は北朝鮮を攻撃しないと話したが、なぜ盧大統領はまだ違うことを言っているのか”と質問したことがある。私は“先ほど駐国連韓国大使がイラクに対する米国の立場を強力に支持する演説をした。盧大統領は米国の対外政策を強力に支持している”と釈明しなければならなかった。こういうことが繰り返される中で、韓米同盟に亀裂が生じているという印象を与えることがあった。われわれは中国と毎年、戦略対話を行うが、2005年の対話で中国側の戦略家が“米国にとって中国は脅威でないはずだが、米国はアジアで強力な同盟関係を構築している”と指摘した。日本、オーストラリア、インド、インドネシア、シンガポールなどに言及したが、韓国だけは抜けていた。その時、韓国は中国の影響圏にあるのではないかという感じを受けた」
--こうした流れの中で結局、盧大統領とブッシュ大統領間には亀裂が生じたのか。
「そうとまでは言えない。 しかし私が最後に担当した両首脳の5回目の会談(2005年11月・慶州)で、両首脳はバンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行の北朝鮮資金凍結問題をめぐり隔たりが生じ、会談は良い結果をもたらさなかった。これと関連し、米政府消息筋は当時、中央日報に対し、盧大統領が“6カ国協議が合意したところに浮上したBDA資金凍結の底意が疑わしい(suspicious)”とブッシュ大統領に繰り返し話し、ブッシュ大統領は激怒した、と伝えた。 ブッシュ大統領が“疑わしいものは何もない”と否認したが、それでも盧大統領は“疑わしい”という言葉を繰り返したため、ブッシュ大統領は首を振りながらしばらく沈黙したということだ。 慌てた当時の潘基文外交通商部長官ら韓国側の随行員は会談後、米国側に“事前に用意した発言ではなく、盧大統領が(政府の)外で聞いた話を突発的にした”と釈明した」
--盧大統領がブッシュ大統領の別荘クロフォード牧場に招待されなかった背景もそのためか。
「私をはじめ、ライス国務長官、ケリー元国務次官補ら外交当局者は、盧大統領が訪米する度にクロフォード牧場に招待しようと何度も建議した。 しかしホワイトハウスの参謀が強く反対し、ブッシュ大統領に建議されることはなかった。 参謀らは“盧大統領が訪米の前後に反米発言をしないと保証する自信はあるのか”“盧大統領がクロフォードで一言でもおかしな発言をすれば、米国メディアが大書特筆し、ブッシュ大統領は苦境に陥る”と言いながら、われわれを責めた。 このためイラクに派兵した主要同盟国のうちクロフォード牧場に招待されていない首脳は盧大統領だけだ。残念だ。しかし李明博(イ・ミョンバク)次期大統領は必ずクロフォード牧場やキャンプデービッドの別荘に招かれるだろう」
「その発言のせいであぶら汗をかいた。問題の演説全文がブッシュ大統領に報告され、それを読んだブッシュ大統領は私を呼び出して“どういう意味なのか”と質問してきた。私は“盧大統領の支持基盤を狙った国内政治用の発言”だと言って“韓米実務陣の間では北核は威嚇ということで認識が一致し、協調もうまくいっている”と説明した。論理が通りにくかったが、仕方なかった。幸い、ブッシュ大統領は特別な異議提起はせずに“分かった”と答えた。会談でその発言はあまり問題にならなかった。しかし後にその発言は、盧大統領を攻撃するホワイトハウス、行政部内のタカ派たちに何度も引用された」
--盧大統領が北朝鮮をかばって、米国の対北朝鮮攻撃の可能性に触れるなど、反米的な発言を続けた理由は何だと思うか。
「国内政治用だったと考える。 盧大統領と386世代は執権前は分かっていなかったが、執権後には米国の重要性がどれほど大きいか認識した。 それでイラク派兵など同盟に寄与する政策を採択した。 問題は、こうした政策のため、自らの支持基盤が離脱しないかという心配が大きかったということだ。 それで盧大統領は“派兵によって米国との関係を改善することで、米国の対北朝鮮攻撃を防止している”という論理を展開したようだ。 しかしこれは韓国に対する米国の不信と、韓国内の反米感情を増幅させ、北朝鮮と中国には韓米関係に亀裂が生じているという誤った判断を抱かせた。 気勢が上がった中国の高官は04年にソウルを訪れ、“韓米日の対北朝鮮政策調整監督会議(TICOG)を中断すべき”と要求するまでに至った (実際TICOGは盧政府下で中断された)。それでわれわれは尹永寛(ユン・ヨングァン)、李鍾ソック(イ・ジョンソク)、潘基文(バン・キムン)、徐柱錫(ソ・ジュソク)氏ら韓国政府関係者に会う度に、頼むからそのような論理を展開するなと懇請した。彼らは“われわれは同盟を最優先する。反米発言自体したことはない”という釈明を繰り返した。しかしある大統領府高官だけはわれわれに“(盧大統領の)反米的発言は国内政治基盤を守るためのものなので今後も続くしかない”と明らかにした」
--ブッシュ大統領は盧大統領の反米発言についてどれほど報告を受けていたのか。
「毎回報告を受けていたと考えればよい。ブッシュ大統領は毎朝、国際情勢について詳細な報告を受ける。また米国は韓国に大きな大使館を持っている。このためブッシュ大統領は1カ月に少なくとも2-3回は盧大統領の反米的発言について報告を受けていた。2002年ごろ、ブッシュ大統領は私に“私は北朝鮮を攻撃しないと話したが、なぜ盧大統領はまだ違うことを言っているのか”と質問したことがある。私は“先ほど駐国連韓国大使がイラクに対する米国の立場を強力に支持する演説をした。盧大統領は米国の対外政策を強力に支持している”と釈明しなければならなかった。こういうことが繰り返される中で、韓米同盟に亀裂が生じているという印象を与えることがあった。われわれは中国と毎年、戦略対話を行うが、2005年の対話で中国側の戦略家が“米国にとって中国は脅威でないはずだが、米国はアジアで強力な同盟関係を構築している”と指摘した。日本、オーストラリア、インド、インドネシア、シンガポールなどに言及したが、韓国だけは抜けていた。その時、韓国は中国の影響圏にあるのではないかという感じを受けた」
--こうした流れの中で結局、盧大統領とブッシュ大統領間には亀裂が生じたのか。
「そうとまでは言えない。 しかし私が最後に担当した両首脳の5回目の会談(2005年11月・慶州)で、両首脳はバンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行の北朝鮮資金凍結問題をめぐり隔たりが生じ、会談は良い結果をもたらさなかった。これと関連し、米政府消息筋は当時、中央日報に対し、盧大統領が“6カ国協議が合意したところに浮上したBDA資金凍結の底意が疑わしい(suspicious)”とブッシュ大統領に繰り返し話し、ブッシュ大統領は激怒した、と伝えた。 ブッシュ大統領が“疑わしいものは何もない”と否認したが、それでも盧大統領は“疑わしい”という言葉を繰り返したため、ブッシュ大統領は首を振りながらしばらく沈黙したということだ。 慌てた当時の潘基文外交通商部長官ら韓国側の随行員は会談後、米国側に“事前に用意した発言ではなく、盧大統領が(政府の)外で聞いた話を突発的にした”と釈明した」
--盧大統領がブッシュ大統領の別荘クロフォード牧場に招待されなかった背景もそのためか。
「私をはじめ、ライス国務長官、ケリー元国務次官補ら外交当局者は、盧大統領が訪米する度にクロフォード牧場に招待しようと何度も建議した。 しかしホワイトハウスの参謀が強く反対し、ブッシュ大統領に建議されることはなかった。 参謀らは“盧大統領が訪米の前後に反米発言をしないと保証する自信はあるのか”“盧大統領がクロフォードで一言でもおかしな発言をすれば、米国メディアが大書特筆し、ブッシュ大統領は苦境に陥る”と言いながら、われわれを責めた。 このためイラクに派兵した主要同盟国のうちクロフォード牧場に招待されていない首脳は盧大統領だけだ。残念だ。しかし李明博(イ・ミョンバク)次期大統領は必ずクロフォード牧場やキャンプデービッドの別荘に招かれるだろう」
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