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【噴水台】放火犯



歴史上最も有名な放火犯はギリシャのヘロストラトスだ。 彼は紀元前356年10月、古代の世界7不思議の一つに挙げられるアルテミス神殿を燃やした。 神殿は、トルコ西部のエーゲ海岸にあるギリシャ植民地エフェソスにあった。 紀元前6世紀中葉から建設を始め、120年後に完工した。 127本の白い大理石の柱を立てた高さ20メートルの神殿は、パルテノン神殿の2倍の規模であるうえ、壮大かつ美しさが際立った。 放火犯はすぐ捕まり、神聖冒涜罪で処刑される前、なぜ犯行に及んだのかという尋問を受けた。 犯人は「どうせ悪いことをするのなら、後世に永遠に名前が残るような悪行をしようと考えた」と答えた。 これを受け、彼の名前が書かれたすべての記録物を抹消し、彼の名前を口にするなという命令が下された。 だが、彼の望みはかなった。 2000年が過ぎた今でも名前が伝えられているのだから。

無実であるにもかかわらず最も悔しい思いをした放火犯はローマのネロ(西暦37-68年)皇帝だ。 彼は狂気に走ってローマ市内を燃やしたという話で有名だ。 問題の火災は西暦64年7月19日の夜に起きた。 コロセウムの内側の商店街から出た火は、宮殿と住宅街を焼きながら9日間続き、ほぼ全都市を燃やした。 問題は、再建事業を進行しながら‘黄金宮殿’の建設を並行したことにあった。 建設予定地が最初に出火した地域と重なり、ネロが放火の主犯だという噂が広まることになった。 ネロは自分にかかる疑いと非難を静めるため、キリスト教徒を放火犯にして捕まえ、残忍に処刑した。 後日、ヨーロッパがキリスト教国家になると、ネロは残忍なキリスト教迫害者であり、母と妻を殺害した非人間的行為までも犯したとして、暴君の代名詞になった。 しばらくネロの放火説が定説のように伝えられてきたが、最近は現実に不満を抱いた終末論者の放火や失火のほうが信憑性を得ている。 歴史家のタキトゥス(56-120)は火災発生から数年も経っていない時に書いた本で、火災当時、ネロは現場から80キロ離れたアンティウムある別荘にいたと記録した。 燃える光景を興味深く眺めながら歌を詠んでいたのではなく、ローマに駆けつけて火を消そうと必死にもがいていたという。


いま韓国に最も有名な放火犯が誕生しそうだ。 国宝1号の崇礼門(スンレムン、南大門)を燃やしたチェ・ジョンギだ。 再建築による土地補償金が少なかったことに不満を抱き、火をつけたという。 無念の国宝損失であり、無念の心理状態だ。 得るものは何もなく、悪名だけが歳歳年年伝わることになった。



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