ダスディック |
治安が悪化していた市街地が年間100万人訪れる文化の名所に
“デザイン”が都市を語るテーマとなっている。
単調で個性のない都市を、美と感性があふれる魅力ある空間に変えようという試みだった。機能、環境、デザインの結合は今後の先進都市の必須要件となった。
ソウル市は「デザインを通じた都市ブランド価値のアップ」を前面に押し出した。呉世勲(オ・セフン)ソウル市長は3日から10日ドイツのベルリン、エスリンゲン、ハンブルグ、オーストリアのウィーン、グラーツ、ベルギーのブリュッセルを巡り、都市デザインをベンチマーキングした。呉市長に同行し「ヨーロッパ都市のルネサンス」の現場を紹介する。
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人口9万の小都市のドイツ・エスリンゲン。ポルシェ、ベンツの本社がある‘自動車都市’シュツットガルトから10キロ離れた場所にある。このような地理的な条件のおかげからかエスリンゲンは自動車部品と各種金物製品を生産する工業都市でとして成長した。
エスリンゲン市内を流れるネッカー川をはさみ3階建ての赤いレンガで建てられたダスディックは10年前まで金物工場だった。1870年代に建てられたこの工場では130年以上、刃物のような金物製品を生産してきた。
四方100メートルの広さの巨大な工場は今、一般市民の文化、レジャー空間として再生した。内部に入るとスクリーンが9館ある映画館、米国、メキシコ、イタリア料理など5カ国のレストラン、ピアノ演奏を鑑賞できるワインバー、ディスコなど48店舗が地下から3階まで入っている。建物中央の2階には10メートルの高さの透明な水槽を設備したダイビング用品店が入店している。客がダイビング用品を着用して水槽の中に入り、行き来う市民らはそれを眺められる。夕方6時以降は若者中心に活気づき、週末には8000~1万2000人が訪れる。この工場跡は乾いた工業都市に活気を吹き込む役割を果たした。
10年前、この建物の内部は今と違っていた。工場設備と人材は1988年10キロ先にあるほかの工場へ移された。古い設備であることから生産性が落ち、工場を拡張して現代化する必要が必要だったという。しかし会社は工場の建物に手をつけられなかった。文化財として指定されていたためだ。代わりにエスリンゲン市と建物のオーナーが共に総額2500ユーロ(約394億円)を投じて工場をリモデリングすることにした。その結果「工場を改造した市民のための文化空間」いう名声を得ている。
リモデリングの過程で工場の骨組みにはほとんど手をつけなかった。80メートルの高さの煙突も維持された。2階のバーのカウンターの後方にこの煙突の表面がそのまま姿を現している。(写真右上)建物の内部には歳月の重さを感じさせる鉄骨用の差込穴と配管が天井部を横切る。(写真右下)昔はボイラー室だった現在のディスコには当時の設備がそのまま残っている。
建物のマネジャーのゴールさんは「このあたりではこの建物の賃貸料が最も高い」とし「人口9万の都市に年間訪問客が100万人だ」だと自慢した。呉世勲(オ・セフン)ソウル市長は4日、ダスディックを訪問した際に「ソウル永登浦(ヨンドゥンポ)と衿川区(クムチョング)などにある古い工場建物を崩さずにアートファクトリー(Art Factory)を造成して作家と芸術家の創作空間として活用する案を推進したい」と話している。
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