李明博次期大統領が、燃えてしまった“国宝第1号”の崇礼門を、国民からの募金で修復することを提案した。これによって大統領就任後、公式的な募金運動を繰り広げることにしたと業務引継ぎ委員会がこの日、明らかにした。しかし崇礼門復元は国民の寄付ではなく政府の予算で行われなければならないというのが我々の判断だ。
国家の文化財を修復するのに予算を編成して税金で執行することは当然のことだ。文化財の保存と管理、復元は政府の基本的な任務だからだ。この事業を国家予算ではない寄付でしなければならないという理由が見当たらない。過去の例を見てもそうだ。
国民からの募金は大きく3つのケースで動員されてきた。
まず、国家的に必要な事業なのに財源が足りない場合だ。朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代、国防力増強のために企業がおさめた防衛寄付金がその例だ。2つ目は社会的に必要だが予算を投入するには適切ではない場合だ。恵まれない隣人助け合い募金がこれにあたる。3番目は国民の意を1カ所に集める国民統合のイベントが必要な場合だ。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代、日本の歴史歪曲に対応するための独立記念館建立基金と北朝鮮からの水攻脅威に備えるための平和のダム建設基金がそうだった。
李時期大統領の提案は3つ目の“国民統合イベント”を志向するものと見られるが、状況にそぐわない。本人は「政府予算よりは国民が“十匙一飯”(10人がひとさじずつ持ち寄れば一膳の飯になる)の気持ちで参加する寄付によって修復する方が国民にとっても慰めになるのではないか」と理由を説明した。しかし崇礼門の火災はずさんな国家の管理による人災であるだけだ。国宝第1号を一般に開放しておいて文化財庁とソウル中区庁が管理を疎かにした上、消防防災庁が事前準備を怠って現場対処ができなかったためだ。これを復旧する財源を寄付で補えば国民にとって慰めになるという発想は理解しがたい。過ちは政府がしておきながら国民に責任をなすりつける印象を与えるかもしれない。国民からの募金は自発的ではなければならないのだ。大統領になる人がしゃしゃり出て主張すれば、企業が先を争って納める準租税にならないだろうかとも懸念される。政府の役割と民間の役割を混同してはいけない。
国家の文化財を修復するのに予算を編成して税金で執行することは当然のことだ。文化財の保存と管理、復元は政府の基本的な任務だからだ。この事業を国家予算ではない寄付でしなければならないという理由が見当たらない。過去の例を見てもそうだ。
国民からの募金は大きく3つのケースで動員されてきた。
まず、国家的に必要な事業なのに財源が足りない場合だ。朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代、国防力増強のために企業がおさめた防衛寄付金がその例だ。2つ目は社会的に必要だが予算を投入するには適切ではない場合だ。恵まれない隣人助け合い募金がこれにあたる。3番目は国民の意を1カ所に集める国民統合のイベントが必要な場合だ。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代、日本の歴史歪曲に対応するための独立記念館建立基金と北朝鮮からの水攻脅威に備えるための平和のダム建設基金がそうだった。
李時期大統領の提案は3つ目の“国民統合イベント”を志向するものと見られるが、状況にそぐわない。本人は「政府予算よりは国民が“十匙一飯”(10人がひとさじずつ持ち寄れば一膳の飯になる)の気持ちで参加する寄付によって修復する方が国民にとっても慰めになるのではないか」と理由を説明した。しかし崇礼門の火災はずさんな国家の管理による人災であるだけだ。国宝第1号を一般に開放しておいて文化財庁とソウル中区庁が管理を疎かにした上、消防防災庁が事前準備を怠って現場対処ができなかったためだ。これを復旧する財源を寄付で補えば国民にとって慰めになるという発想は理解しがたい。過ちは政府がしておきながら国民に責任をなすりつける印象を与えるかもしれない。国民からの募金は自発的ではなければならないのだ。大統領になる人がしゃしゃり出て主張すれば、企業が先を争って納める準租税にならないだろうかとも懸念される。政府の役割と民間の役割を混同してはいけない。
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