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北朝鮮が大統領選挙の前日である昨年12月18日、平壌(ピョンヤン)を訪問した金万福(キム・マンボク、左)国家情報院長に大統領選挙結果と関係なく、南北関係が持続することを希望するという意思を伝えたことが9日、確認された。
特に金院長は北朝鮮の金養建(キム・ヤンゴン、右)統一戦線部長が南側の大統領選挙の結果を心配すると「明日(12月19日)選挙でハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補の当選が確実視されているが(李明博政府は)韓国内部の保守層への説得能力に長けているので、現政権よりも果敢に対北朝鮮政策を推進できると思う」と説明したと発表された。
国家情報院側は5日、大統領職に関する業務報告において、金万福院長が大統領選挙の前日に北朝鮮を極秘に訪問し、金養建統一戦線部長とこのような内容の会見をやりとりしたと明らかにし、対話録と北朝鮮訪問に関連した資料を報告したと業務引継ぎ委員会の関係者が明らかにした。
中央(チュンアン)日報が入手した国家情報院の報告資料によると、金院長は平壌(ピョンヤン)の牡丹峰(モランボン)招待所で金養建統一戦線部長と2度会見し、昼食を兼ねた対談では大統領選挙の結果と南北関係の展望、国情院長の交代についてなどを、合わせて2時間30分間の会見をした。
昨年10月4日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が南北首脳会談を記念し、北朝鮮の中央植物園に植えた樹の前に置かれた標石。12月18日、金万福国情院長が持ち込んだもので「2007.10.2~4.平壌訪問記念 大韓民国大統領 盧武鉉」という文字が刻まれていた。 |
2人がやりとりした対話を整理した対話録の中には金養建部長が「今、南側から鉄道、道路考察団(調査団、12月12~18日活動)が来朝して活動しているが、多くのことを経験するだろうし、うまくいけば白頭山(ぺクトゥサン)観光もすると思う」と話し「南北会談が現在のように多かったことは未だかつてない」と話した場面が書かれている。北側金部長はまた「南北関係が(大統領選挙後にも)維持されることを望むとし、大統領選挙後にも南側新政府の対北朝鮮政策に大いなる関心を見せた。
これに対して金院長は「南北関係は南側で政権が変わってもうまく維持されると思う」とし、「ハンナラ党の当選が確実だが、ハンナラ党の対北朝鮮政策も和解への協力基調には大きな変化がない」と北側を安心させた。
対話録に続いて、北側の金部長が金院長に「大統領選挙後にも国情院長職をずっと務めるのか」と尋ね、金院長は「新政府が樹立すれば直ちに更迭される。これが南側社会の基本秩序だ」と答えたと伝えられている。
国情院側は北朝鮮訪問の経緯を説明した資料で金院長の北朝鮮訪問目的を「10月の南北首脳会談の際に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が記念植樹した松の標石を設置するため」と明らかにした後、北朝鮮への訪問日を大統領選挙の1日前に決めたことに対し「大統領選挙を何日か残して北朝鮮を訪問する場合、対北工作をするという疑問を誘発する可能性があり、大統領選挙後には事実上北朝鮮訪問が難しいと懸念されたためだ」と説明した。また昨年9月に行われた南北首脳会談の事前交渉過程で、北側が標石の設置に反対したが、12月11日、国情院が金院長の北朝鮮訪問を提議する非公開通知文を送ると1日後の12日にやっと標石の設置に同意するという通知文を送ったと明らかにした。
国家情報院側は「北側の事情を鑑みた際に(標石の設置が)金正日(キム・ジョンイル)委員長の承認事項なので、我々が標石の設置を重要に考えているという認識を与えようと国情院長が直接乗り出した」とも強調した。
国情院の資料によると金院長は北朝鮮を訪問する前日の12月17日、盧武鉉大統領に「標石を設置するために平壌(ピョンヤン)を訪問する」と報告している。
◆金養建(69)=対南事業を総括している労働党統一戦線部長(統戦部長)で昨年10・3南北首脳会談テーブルに北側のメンバーとして唯一同席した。2000年、南北首脳会談時に金容淳(キム・ヨンスン)労働党秘書兼統戦部長(2003年死亡)が座っていた席に代わりにいた。「第2の容淳秘書」と呼ばれるほどで、金正日国防委員長の最側近だ。 南北首脳会談の際に金委員長と目で会話したり、互いに笑いあったりした。金秘書が外交的に大胆であった一方、金部長は静かで几帳面に業務をこなすスタイルとして知られている。1980年代に金委員長が対南ラインを大々的に整備する際に目にかけられたといわれている。労働党国際部長、国防委参事(幹事)を歴任。統戦部長になったのは昨年3月だ。
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