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忠清南道(チュンチョンナムド)の泰安近海で原油流出事故が発生してから1カ月が過ぎた6日。万里浦(マンリポ)海水浴場に「潮の香り」が戻ってきた。黒い砂浜は砂本来の色をとりもどした。ゴムバケツで原油を汲み出した1カ月前は「砂が全て無くならなければ油も消えない」と人々は話していた。その後、1日に数千人のボランティアが海水浴場を訪れた。ボランティアがこの場所を訪れるにつれ、砂浜は少しずつ本来の色を取り戻したといった。
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1カ月前、この場所は油まみれだった。冬の北西風は油を海岸一帯に押し出した。海水浴場、港、干潟は黒く変わった。海岸から7、8キロほど離れた所遠面(ソウォンミョン)の入口まで悪臭が広がっていった。道路にアスファルトを新しく敷く時のような臭いだった。
商店を経営しているコ・ボンヨンさん(65)は「少しずつ終わりが見えてきている」と話した。しかし「つぶさに見てみると、あちこちに黒い(原油)の斑点が深く残っている」とし、心配そうだった。押し寄せる波にも原油のかすがへばり付いていた。コさんはスコップで砂浜を堀り残っている油の塊りを見せた。粘り気があった。
原油を汲み出す作業は終わったが、取り除く作業は続いている。ボランティアのメンバーは草取りをする農夫のように集まり、座って油を取り除いている。数百人のボランティアが今日も万里浦を訪れた。住民のチョ・ホウォンさん(44)は「パンツ一丁で海に飛び込むことができるまでは作業は続く」と話した。
万里浦から車で5分の場所にある茅項(モハン)にも多くのボランティアが集まっていた。ボランティアの数は千人を超えた。それほど除去作業が遅れている所でもある。防波堤と奇岩怪石、砂利海浜は依然として黒かった。潮の香りも未だ戻っていない。
ボランティアたちは砂利でできている浜辺を掘りおこし、深くしみこんだ油を汲み出して、岩にくっついている油を取り除いた。全身で、素手で「人海戦術」が行われている。 漁民らはわらの束を集めて縛っていた。午後2次からの満ち潮に合せてわらの束を海浜に浮かべなければならないからだ。わらは油を吸収したり集めたりする役割を果たす。オ・ボンファンさん(69、茅項1里)は「はじめは油を汲み出すのがつらくて朝起きられなかったが、ボランティアの人たちがお金を一銭ももらわずに来てくれたおかげでとても良くなった」と話した。
干潟でかきを掘り、生計を立てている茅項3区網山村の風景も同じようだった。ボランティアによる防除作業が粘り強く行われていた。小さな村だが土曜日の5日には約千人あまり、この日も800人ほどがこの村を訪れた。
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友人、職場、学校だけでなく1人で来た人も多かった。家族単位でのボランティアも数多く目に付いた。ソウル良才洞(ヤンジェドン)から早朝にここへやってきたというオム・ギジョンさん(45)は「仕事が忙しいという言い訳をしながら今日になってやっと来た。こんなに遅く来たことを申し訳なく思う」と話した。妻のイ・ジェオクさん(38)、娘のサランちゃん(11)、息子のジヨン君(8)とともに来たオムさんは「環境保護がどれくらい重要かを子供たちに見せたかった」とし「大きな災害だが希望も発見した」と強調した。
網山村のイ・ドンミョンさん(44)は「寒さがやわらいだ3日、干潟中に固まっていた油が表面に浮び上がり始めた」とし「どれくらい隠れているか知る術がない。 一度(環境が)壊れてしまったらどんなに難しいかを骨身にしみるほど感じた」と話した。
「破壊と再生の難しさ」を見せつける泰安は、それそのものが「環境の教科書」になっていた。茅項の漁民チョン・ナクチルさん(71)は「本来ならばマフノリの時期だ。乾物をスープに入れて食べたらどれだけおいしいかわからない」と話した。「でも、死ぬ前にはもう食べられないだろう」とつぶやいた。 春が来ればこの場所ではたくさんのひじきも取れる。チョンさんは「水に少し浸したひじきを和えただけで春のごちそう」と言い、唾を飲み込んだ。
1カ月間で57万人を超えるボランティアが訪れた。泰安郡は「100万人のボランティア」に達する見込みだと伝えた。泰安はまだ復旧していない。しかし数十万のボランティアのやさしさで「おいしいひじきを再び」という希望は消えなかった。
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