李明博(イ・ミョンバク)候補が大統領選で大勝した。 2位の鄭東泳(チョン・ドンヨン)候補より530万票も多かった。 こうした結果はもちろん、2期にわたる左派政権の失政のためだ。 特に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の実情は決定的で、多くの市民が必ず政権を代えなければならないと考えた。
こうした流れの中で与党には適当な戦略がなく、結局‘ネガティブキャンペーン’に専念した。 ネガティブキャンペーンは相手の人気を落とすには効果があるが、自分の支持を増やすには限界がある。 特に多数の市民が‘政権を代えることが何よりも重要だ’と感じている中で、‘政権が代わらなくてもよい’という論理を政策で具現できなかったのは致命的だった。 これに伴って敗北の衝撃も増幅させた。 明確で一貫した政策は敗北の衝撃を吸収し、次の選挙に動力を提供する。
このように与党が国民の心に訴える政策を出せなかったのは、与党に社会的な問題を診断して処方を出す社会哲学がなかったからだ。 与党が持つ社会哲学はまさに金大中(キム・デジュン)政権と盧武鉉政権のものだった。 その哲学自体が問題を招いたため、正しい診断と処方を出せなかった。 盧大統領と彼の追従者らが今でも自分の哲学と政策は正しいと主張するのは、まさにこうした事情からだ。
こうした状況は、1990年代初めに東ヨーロッパで共産主義体制が崩壊した時と似ている。 共産主義の理論では、共産主義が生んだ問題に対する診断と処方を出せなかった。 それでロシアをはじめとする共産主義社会では、自由主義と主流経済学派の知識人がその仕事を就いた。 彼らと韓国の左派政党の間の差は、彼らが異質的で馴染みのない理念と体制を受け入れた一方、韓国は本来のわが社会をつくった原理に戻るという点だ。 もちろんわれわれの場合はそれだけ容易だ。
いま必要なのは左派知識人の知的正直だ。 いまや社会主義は良い理念ではないことが明確になった。 権力と情報の集中は圧制と腐敗を生み、社会的所有は非能率と意欲喪失を招き、中央の計画部署で練った計画は荒いながらも硬直し、経済活動を極度に制約し、革新を基本的に不可能にさせる。 この点は多くの事例によって証明され、異論の余地がない。 意図がどんなに高貴であり、青写真がどれほど美しくても、人の天性に対する誤った見解を基礎にした社会主義は、人を苦しめる怪物であることが証明された。
しかし当時、韓国社会の左派知識人の中にその事実を認めた人は極めて少なかった。 ほとんどが自分たちの社会主義理念にすがった。 社会主義が現実での検証を通して論破されたことを認める代わりに、彼らは間違っているのは「現実社会主義」であり「理論社会主義」ではないという奇妙な論理を展開した。 理論は、現実での検証を通して正当化されるという科学哲学の基本命題を逆に立てたものだ。
究極的にこうした知的不正直は自由民主主義と市場経済を追求し、経済成長と社会発展を成し遂げた韓国社会に一歩遅れて社会主義を実験する契機を用意した。 さらには忘れられたヘンリー・ジョージの理論までこの地で復活した。 自由主義者が予測した通り、2期の左派政権による社会主義実験は悲惨な失敗に終わった。
自分の古い理念と論破された理論を‘進歩’という言葉で装ってきた左派知識人は、これから知的に正直にならなければならない。 その時に初めて彼らは自身の価値に合った、現実に適用されうる社会哲学を見いだすはずだ。 そしてこうした哲学の上に、ヨーロッパの社会民主党や米国の民主党のような現代的左派政党ができることになるだろう。 韓国社会の構成原理を実質的に否定する民主労働党の衰退は示唆するところが多い。
「土砂崩れ(landslide)」が起こった今回の選挙にもかかわらず、左派知識人が自身の理念が破産したという事実を認めなければ、彼らは左派政治家らを土砂にそのまま置くことになる。 左派知識人が提供する現実的左派理念なしでは、左派政党は第15代大統領選のように政治的野合を試みたり、第16代や第17代のようにネガティブキャンペーンだけを追求するしかない。 これはすべてにとって不幸なことだ。
◆卜鉅一(ボク・コイル)=1946年、忠清南道牙山(チュンチョンナムド・アサン)生まれ。 ソウル大商大卒業。 小説家・詩人。社会評論家として活動している。 長編小説「碑銘を求めて」が代表作。 中道保守を標榜し、昨年11月発足した文化芸術人団体「文化未来フォーラム」の代表を務める。
こうした流れの中で与党には適当な戦略がなく、結局‘ネガティブキャンペーン’に専念した。 ネガティブキャンペーンは相手の人気を落とすには効果があるが、自分の支持を増やすには限界がある。 特に多数の市民が‘政権を代えることが何よりも重要だ’と感じている中で、‘政権が代わらなくてもよい’という論理を政策で具現できなかったのは致命的だった。 これに伴って敗北の衝撃も増幅させた。 明確で一貫した政策は敗北の衝撃を吸収し、次の選挙に動力を提供する。
このように与党が国民の心に訴える政策を出せなかったのは、与党に社会的な問題を診断して処方を出す社会哲学がなかったからだ。 与党が持つ社会哲学はまさに金大中(キム・デジュン)政権と盧武鉉政権のものだった。 その哲学自体が問題を招いたため、正しい診断と処方を出せなかった。 盧大統領と彼の追従者らが今でも自分の哲学と政策は正しいと主張するのは、まさにこうした事情からだ。
こうした状況は、1990年代初めに東ヨーロッパで共産主義体制が崩壊した時と似ている。 共産主義の理論では、共産主義が生んだ問題に対する診断と処方を出せなかった。 それでロシアをはじめとする共産主義社会では、自由主義と主流経済学派の知識人がその仕事を就いた。 彼らと韓国の左派政党の間の差は、彼らが異質的で馴染みのない理念と体制を受け入れた一方、韓国は本来のわが社会をつくった原理に戻るという点だ。 もちろんわれわれの場合はそれだけ容易だ。
いま必要なのは左派知識人の知的正直だ。 いまや社会主義は良い理念ではないことが明確になった。 権力と情報の集中は圧制と腐敗を生み、社会的所有は非能率と意欲喪失を招き、中央の計画部署で練った計画は荒いながらも硬直し、経済活動を極度に制約し、革新を基本的に不可能にさせる。 この点は多くの事例によって証明され、異論の余地がない。 意図がどんなに高貴であり、青写真がどれほど美しくても、人の天性に対する誤った見解を基礎にした社会主義は、人を苦しめる怪物であることが証明された。
しかし当時、韓国社会の左派知識人の中にその事実を認めた人は極めて少なかった。 ほとんどが自分たちの社会主義理念にすがった。 社会主義が現実での検証を通して論破されたことを認める代わりに、彼らは間違っているのは「現実社会主義」であり「理論社会主義」ではないという奇妙な論理を展開した。 理論は、現実での検証を通して正当化されるという科学哲学の基本命題を逆に立てたものだ。
究極的にこうした知的不正直は自由民主主義と市場経済を追求し、経済成長と社会発展を成し遂げた韓国社会に一歩遅れて社会主義を実験する契機を用意した。 さらには忘れられたヘンリー・ジョージの理論までこの地で復活した。 自由主義者が予測した通り、2期の左派政権による社会主義実験は悲惨な失敗に終わった。
自分の古い理念と論破された理論を‘進歩’という言葉で装ってきた左派知識人は、これから知的に正直にならなければならない。 その時に初めて彼らは自身の価値に合った、現実に適用されうる社会哲学を見いだすはずだ。 そしてこうした哲学の上に、ヨーロッパの社会民主党や米国の民主党のような現代的左派政党ができることになるだろう。 韓国社会の構成原理を実質的に否定する民主労働党の衰退は示唆するところが多い。
「土砂崩れ(landslide)」が起こった今回の選挙にもかかわらず、左派知識人が自身の理念が破産したという事実を認めなければ、彼らは左派政治家らを土砂にそのまま置くことになる。 左派知識人が提供する現実的左派理念なしでは、左派政党は第15代大統領選のように政治的野合を試みたり、第16代や第17代のようにネガティブキャンペーンだけを追求するしかない。 これはすべてにとって不幸なことだ。
◆卜鉅一(ボク・コイル)=1946年、忠清南道牙山(チュンチョンナムド・アサン)生まれ。 ソウル大商大卒業。 小説家・詩人。社会評論家として活動している。 長編小説「碑銘を求めて」が代表作。 中道保守を標榜し、昨年11月発足した文化芸術人団体「文化未来フォーラム」の代表を務める。
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